ART of column_四季即是空 ART of work_編集者の憂鬱

三戸浜で、ちっちゃい読者に教えられたこと

保育園では、親も成長させられます。

息子ふたりが通った保育園は、妻も通った保育園で、妻はどうしても自分の子どももそこに通わせたかったようです。
それくらい、子どもにとって素晴らしい時間を過ごすことができる保育園でもあったわけです。
子どもを育てたことがある人ならば、ここまで読んで薄々わかると思いますが、そうした保育園に通わせるのは実は親も大変です。

子どもって、飽きっぽいんですよ。

夏に、三浦半島のある海岸まで、父親たちが電車で引率する行事がありました。
グループに分かれて、三崎口の駅まで目指します。
長男で一度経験済みだったので、次男の時には要領を得ていました。
就学前の子どもにとって、駅から海岸までの道のりは、けっこうハードな距離なのです。
疲れて愚図りだす子もいれば、座り込んでしまう子もいます。
海に到着すれば楽しい時間が待っていることはわかっていても、炎天下のもと、蜃気楼が立ちそうなアスファルトの上を歩くのは大変です。

そこで、次男の時は(と言っても、わが子とは違うグループでしか引率できないのですが……)、子どもたちが海まで楽しめるように、コマ図をつくりました。


クルマのラリーイベントで使うアレです。
自分も取材でラリーイベントに参加した時、コマ図を見ながらのラリーは楽しいものでした。

子どもも大人も、コマ図って好きだよね

ラリーでのコマ図は、分かれ道や曲がり角など、ルートをロストするようなところしか、基本的にはコマ図はありません。
しかし、今回は子どもたちが歩きながら楽しむコマ図。
まっすぐの道でも──いえ、むしろまっすぐな道だからこそ、飽きずに歩けるように、いろんな仕掛けをしておく必要がありました。


さて、海までの遠足の当日、三崎口の駅に到着した子どもたちにコマ図を渡しました。
目印を探せないとすぐに飽きてしまう子、
途中で友だちとのおしゃべりや遊びに夢中になってしまう子、
最後までひとりで目印を探してたどり着く子、
反応は様々でした。
ただ、私の目的である、歩くだけの単調な時間にメリハリがついたことだけは確かでした。

無事に海について、お弁当の時間。
わたしと一緒のグループだった男の子が愚図っていました。
保育園の先生に訳を聞くと、どうやらコマ図に海水がついてしまったらしいのです。
彼は、最後まで飽きずにコマ図を使って海までたどり着いたひとり。
きっと、彼にとっては自分一人の力で、コマ図という冒険の地図を頼りに知らない道を歩いてきたのでしょう。
コマ図は持ち帰って大切にする宝物だったようです。
お母さんにも見せるつもりのようでした。
私は、予備のきれいなコマ図を彼にあげたのですが、彼にとっては自分が使ったコマ図にこそ意義があったようで、なかなか納得してくれませんでした。

熱い読者のみなさまに懺悔します

雑誌を作る際、読者のみなさんのことを念頭に作ってはいます。
しかし、そこは汚れちまった大人ですから、必ずしも読者の方だけにはページを作っていません。
このコマ図だって、子どもがたちがきっと喜ぶだろうな、という純粋な気持ちが8割、
コマ図に夢中になって海まで歩いてくれたら楽だな、という気持ちが2割。
そんな汚れた気持ちで作ったコマ図のペラ紙を、ここまで大切にして思ってくれる純粋な子どもに対して、本当に恥ずかしい気持ちになってしまいました。
気がつかなかっただけで、読者の皆さんに対しても同じようなものです。
イベント等でお目にかかる読者の方たちの中には、熱く雑誌について語ってくれる人がいます。

「西山さん、本当にありがとう、こんな雑誌を待っていたんですよ!」と。
そんな方達には、本当に申し訳ないと思っております。
ここで懺悔いたします。

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