ART of cycling_二輪書

旅するBD-1、東海道五十三次を行く◎16_由比

BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。

DAY 2 11:41_由比宿

2018.3.24

蒲原宿の風情の残る道も、長榮寺石碑を左折するところでおしまい。
県道396号線に出て2.5kmほど走ると東名高速道路をくぐります。
その先の〈神沢〉を左の旧道へ。
ふたたび、歴史を感じられる風情の道が訪れます。

徒歩で東海道を歩いているらしき大勢の人たちとすれ違います。
『東海道中膝栗毛』でも、由比を過ぎた辺りから往来が賑わい始めるとあります。

実は弥次郎兵衛と北八は、三島に泊まった際に「ごまの蝿」に遭って、無一文に近い状態。
由比のひとつまえの蒲原宿に泊まった際は、木賃宿に泊まるはめに。
そこでも懲りずに北八は、巡礼の娘に夜這いをかけたつもりが間違って木賃宿の婆さんに……、という『東海道中膝栗毛』定番のドタバタ劇を演じるわけです。

江戸を夜逃げ同然で旅立ったふたりですが、道中はなんともお気楽。

インスタ映えしそうな写真を撮る、これが現代の東海道五十三次の旅なのです。

そんなふたりに比べ、なんとこちらはストイックな旅であることか。
当初、3日間で京都まで辿り着く予定でした。
というのも、実はわたしのBD-1での東海道五十三次の旅にも連れがいたのでした。

旅は道づれ

それは、BMW i8で東海道五十三次の旅の道連れになったS兄ィ。
そのS兄ィが、旧東海道を辿って京都、そして彼の実家のある高知まで自転車旅を計画していると云うので、ならば京都までお伴させて頂きます、という具合で私のBD-1での旅が決定した次第。
実はS兄ィは、若い頃にサイクルショップで働いていた経験もあり、自転車の修理はお手の物。
ブレーキとシフトのワイヤー交換やBBの交換など、旅の前に手ほどきしてくれたのも彼なのでした。

S兄ィの計画は、3日間で京都まで行き、そのあと2日間で高知までというもの。
彼のスケジュールを狂わせないように頑張らなければならないのですが、初日の箱根越えでいきなりのブレーキ。
雨も降ってきたこともあって、三島から先にペダルを漕ぐ気力も失せてしまったのです。
本当は、初日の宿泊は府中あたりと思っていたのです。

そんなわけで、すこしでも距離を稼がなければならないのですが、なかなかペースは上がってきません。
少しでも登り坂になると、一気にペースダウン。
これも、自転車で通れる道はすべてペダルを漕ぐ、という旅の縛りのせい。
そして、身の程知らずに58T化したせい。

後日、56T、47Tで箱根の七曲がりを2度チャレンジしましたが、あっけないくらい普通に登り切ることができたのです。
平地でスピードを出すことにばかり意識が先行していたからなのですが、向かい風やゆるやかなスロープなど、結局はトップギアを使わなかったことを考えると、56Tぐらいがちょうどよかったのでしょう。

本陣のあった場所にある静岡市東海道広重美術館前で、記念撮影。

この美術館前が由井正雪の生家です。
「正雪紺屋」ののれんが目印。

写真を撮るだけ撮って、先を急ぎます。
……が、S兄ィは、「ちょっと先に行っててくれる」と言い残して、くるりとUターン。

S兄ィの自転車は折りたたみなんぞではなく、ロードサイクリングなので、すぐに追いつかれてしまうのです。

案の定、あっという間に追いつかれてしまいました。
どうやら沿道の露店で柑橘類を買ってきたようです。
そういえば『東海道中膝栗毛』のふたりもこのあたりの露店で餅を買って食べておりました。

これでこそ旧道です

由比駅を越えたあたりで、道幅の狭い旧道へ。
一方通行ではないため、ところどころですれ違うクルマ同士が立ち往生しているのを尻目に進んでいきます。
よく、こんな小径をBMW i8で走り抜けたなぁ、と。

クルマを誘導してくれる人がいないとすれ違いできないシーンも。

さて、「望嶽亭」で薩埵峠へのスロープへと道が分かれています。
BMW i8のときは、フロントスポイラーをする恐れがあって、即断で富士由比バイパスへ抜ける左ルートを取りましたが、今回はそうはいきません。

右のスロープが旧東海道のルート。

記憶よりもスロープが急だったこともあり、ちょっと気分もブルーに。

峠を登り切ったところで待ってもらうことにして、箱根同様、S兄ィには先に行ってもらうことにしました。

浮世絵ポイントはこの先です。

●GoProからの1枚

クルマでは通れないほどの小径もあります。

注:〈  〉内は交差点名を表します。


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