ART of book_文庫随想

『スモールハウス_究極の断捨離』

大学で国文科を卒業した知人と話しているときに、びっくりしたことがありました。

中学生(もしくは小学生高学年)にもなると、吉田兼好や松尾芭蕉、鴨長明を学びます。
教科書でそうした古典に触れたとき、嘘偽りなく、彼らのような生活に憧れたものです。
世捨人、仙人、庵、晴耕雨読の毎日……。
漂泊の旅でもいい。
いろんなしがらみから精神を解放し、自然と共に生きる。
これぞ理想の生活である! と。
そんな話をしていたら、「え!? 中学生でそんな生活に憧れてたの?」と、呆れられたのです。
そんな中学生がいるの? と。

自分では、そうした感覚が普通だと思っていたのですが、常識からは少し乖離していたようです。
(だからみんなが熱中するものに無関心なのかもしれません)

どうしてこんな話になったのかというと、『スモールハウス』を読んだからでした。
わが未完箱は、最小限住宅を目指してつくりましたが、いやいや、そんなもんじゃない。
もっともっと、いろんなものを切り捨てた最小限住宅がありました。
それを紹介したのが、この『スモールハウス』。

最初、建築学的な視点から、作者の云うスモールハウスがどんなものか知りたいと思ったのですが、気がついてしまったのです。
スモールハウスに住む(選択する)ということは、現代の世捨人になることであると。
そう、スモールハウスは現代の庵なのです。

ル・コルビュジェの有名なカップ・マルタンの休暇小屋。
8帖ほどのこの小屋は、彼の云うモデュロールに則って建てら……うーん、小難しくて、なんかこう、親近感がイマイチ湧きません。
学生の頃は、こうしたウンチクや理論が、ただただカッコよく思えたのですが、歳を取ると、ただ面倒クサイだけ。

それに比べてスモールハウスは、もっと自由。もっといい加減。
世捨人の庵に相応しいのです。
そもそも世捨人の庵は、頭の中で計算され尽くしてつくられるものではないはず。
住居をそうした「人間の計算」で作ること自体、現世への未練、現世との強い繋がりが透けて見えてしまいます。

「宣伝や広告で飾り立てることによって消費者の需要自体が捏造され、人々が要りもしないようなものを買い漁り、不必要な生活水準を喜び、それらを手に入れるための過酷な労働の癒やしとして、さらに刺激的な娯楽やサービスが生まれる。」

とりあえず、書斎にあるいろいろなモノを断捨離しようと思った1冊。

『スモールハウス:高村友也/ちくま文庫』