さようならステルツェルさん
イタリア出張から帰国して、ここ2週間ちょっと、ずっと缶詰状態の日々を送っていました。
まさに校了の鉄火場であります。
2冊をほぼ同時に校了しなければならないという、ひさびさのタイトな進行。
そんな余裕のないスケジュールで執筆しているとき、ある報せが届きました。
ステルツェル(Sterzel Stanislao)さんの訃報。
イタリアで3度ほど個別に取材させて頂きました。
ボブ・ウォレスのあと、ランボルギーニのテストドライバーを務めていたレジェンド。
モデナの近くで、インタビューのためにクルマで移動したときのこと、忘れられません。
彼の運転するBMW X5の後ろをついて走っていたのですが、ランナバウトを抜けていくときのX5の鮮やかなライン。
けっして乱暴な運転ではなく、ごく普通の常識的な速度のように思っていたのですが、けっこうなスピードが出ていたのです。
それなのに、彼のX5の挙動はまったく乱れた様子もなく、ごく普通にランナバウトを駆け抜けていったのです。
その無駄のないライン取りの素晴らしさ、いまでも鮮明に覚えています。
ステルツェルさんは、あのBMW M1が開発されていたとき、ランボルギーニ側のテストドライバーでした。
いままで、当時のことが公にならなかったのは、彼がその後、ランボルギーニを去ったからです。
当時ランボルギーニは非常に経営難に陥っていて、彼がサンタアガタで家族を養っていくのが難しい状況でした。
そこで彼は、家族のためにランボギーニのテストドライバーを辞し、新たなビジネスをはじめるためにサンタアガタを去ったのです。
彼の貴重なM1開発当時の資料を見せてもらい、そしてそれをもとに記事にするという約束をしていました。
しかし、私が昨年編集部を異動することになり、その企画はお蔵入りになったのです。
いつか世に出したい! と思うこと2年以上。
間に合わなかったステルツェルさんとの約束
2019年にその企画は、ようやく日の目を見ることできるところまで漕ぎ着けていたのです。
都合3度はそのために彼とイタリアで会いました。
出来上がった本を持って、次はもっと深くウルフ・カウンタックのことについてインタビューしようと思っていたのです。
何を隠そう、ウルフカウンタックの開発ドライバーも彼が行っていたのですから。
約束を果たせず、ごめんなさい。
でも、きちんと来年1月にカタチにします。
たまに私のFacebookに「いいね!」してくれていたステルツェルさん。
コメントも寄せてくれたこともありました。
それになにより、ウルフカウンタック2号機の取材をしたときの写真を、彼のFacebookのプロフィール写真にしてくれていました。
2018年10月30日発売のLamborghini Life 3の原稿を執筆しているとき、そういえばフータ峠あたりもテストドライブすると仰ってたよな〜、と思い出し、トスカーナを旅する原稿を書きながら、思わず彼の名前を原稿に書いてしまいました。
泪が頬をつたってこぼれ落るのも気がつかず。
男の約束は、編集者でなくとも守らなければいけません。
ステルツェルさん、もうすこしだけ、待っていてください。