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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く──鳴海宿

更新日:

DAY 4 13:29_鳴海宿

2018.3.25

宿場より存在感ある間の宿

阿野一里塚には、珍しく桜が植えられいます。

一里塚は、道路の拡張などからたいていは片方だけしか残っていません。その点、阿野一里塚は、往時のまま両方が残っており、国指定の史跡となっています。

間の宿、有松宿に続く旧東海道は、砂舗装されています。

その阿野一里塚から東海道旧道を3kmちょっと走って、県道222号線へ。古い町並みを残すエリアに入ります。

するとすぐに浮世絵ポイント。

浮世絵にも「鳴海」と書かれていますが、描かれた場所は、間の宿「有松」です。
松といい、建物といい、浮世絵の雰囲気とそっくり。

今回の旅では、歌川広重の浮世絵の場面となっている浮世絵ポイントで撮影することを決まりごとにしておりました。

そこで、ついついこの浮世絵ポイントが鳴海宿だと勘違い。

浮世絵ポイントが宿場から離れているところは多々ありますが、それは渡船場だったりと特徴的な地点でした。

それが東海道旧道の沿いの宿場の雰囲気を残しているポイントだったため、ついうっかり。浮世絵の題名は、『名物有松絞』。

ここは知立宿と鳴海宿との間にある間の宿「有松」でした。

火災に強いなまこ壁の建物が残されています。

有松絞は、尾張藩の庇護を受けて繁栄した経緯があります。

間の宿は、宿場間が長いときや峠越えを控えている地点などに発達した集落です。しかし、本来の宿場を守るために、幕府は旅人が間の宿で宿泊することを禁じていました。

有松宿は間の宿ではありますが、いまとなっては完全に隣の鳴海宿より宿場の雰囲気を残している稀有な場所となっています。宿場の下剋上といったところでしょうか。

両沿道に古い建物が歯抜け状態ではなく残っている町並みは、そうそうありません。

東海道旧道の中でも、屈指の江戸時代の情緒を味わえるエリアなのです。有松宿のフォトジェニックな場所で撮影していたら、鳴海宿の区間で撮影することをうっかり忘れて先へと進んでしまっておりました。

鳴海宿と有松宿の距離は2.5kmほどと、けっしてそんなに離れているとは言えません。きっと間の宿である有松宿と鳴海宿を混同している人は多いはず。ガイドブックなどにも、鳴海宿の紹介ページに、間の宿である有松宿も含まれています。

「ありまつ」と書かれた暖簾を沿道でよく見かけました。

そういえば有松宿では、これでもかと「ありまつ」の暖簾がかけられていました。鳴海宿とは違うということのアピールなのでしょう。

しかし、どんなに間の宿の有松宿の町並みが素晴らしくとも、いまさら東海道五十三次の宿場一覧には並べられることはないわけで、距離的にも近いし、通りすがりの旅人としてはなんとなく鳴海宿でいいじゃない? と安易に考えてしまうのですが、地元の人にとってはそうはいかないものだということもよく分かります。

沿道の榎と桜を愛でる

ちょうどこのあたりが鳴海宿の本陣跡あたり。

旧東海道を西へ進み、〈本町〉を渡ってすぐのところが鳴海宿の本陣があったところです。残念ながら鳴海宿の街並みは撮影しそこねました。

しばらくこの東海道旧道である県道222号線を進んでいくと、見事な榎が目に入りました。笠寺一里塚です。

通り過ぎるなんてとてもできない見事な大木です。
樹齢400年以上。名古屋市が200万円以上かけて治療したとか。

樹齢400年をこえる榎は一時枯れかけていましたが、1993年頃に再生治療が施され、現在にその姿を伝えています。この再生治療の際に、一里塚周辺も整備されました。

こちらの一里塚の対となる塚にはムクノキが植えられていたようですが、大正時代になくなってしまったようです。

笠寺一里塚から400mほど進むと、こんどは見事な満開の桜の姿が目に入りました。笠覆寺です。

榎の次は見事な桜。こちらもとても通り過ぎるなんてできません。
ポタリングはお花見の時期が最高です。

こちらの寺でしばしお花見&記念撮影。

名鉄と聞くと、急に名古屋に来たなぁ、という気になります。

東海道旧道は名鉄名古屋本線の踏切を渡ります。気がつけばすでに名古屋市に入っておりました。宮宿はもうすぐそこです。

注:〈  〉内は交差点名を表します。


●GoProからの1枚

有松宿の古い町並みの向こうに名古屋第二環状。時代のコントラストが大きなポイントです。

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