BD-1で走破した、中山道六十九次の旅の記録。2019年4月25日〜30日の5泊6日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。
DAY 1 8:07_板橋
2019.4.25
とげぬき地蔵を軽く参拝
雨上がりの日本橋は、木曜日(平日)の朝。つまり、これから出勤という人たちの姿が増えてくる時間帯。巣鴨駅を右手にする頃には、完全に通勤時間帯となってしまっていました。
〈とげぬき地蔵入口〉で、巣鴨地蔵通り商店街へと進路をとります。駕籠をモチーフとした車両通行禁止の案内板が道路の中央でクルマの行く手を塞いでいる。日本橋を出立したあと、旧中山道を走っている気分にいまひとつ浸れずにいたのですが、ここにきて旧中山道を旅していることを実感。
巣鴨といえば「とげぬき地蔵」ですが、実はこのとき生まれて初めて「とげぬき地蔵」の場所を知りました。想像していたよりも高岩寺はこじんまりとした寺で、ちょうど朝の掃除の最中だったのか、水道のホースが出しっぱなし。さすがに参拝には早い時間のようで、境内にはひとりの参拝者の姿もありません。
「とげぬき地蔵」のお顔を拝見したいところですが、高岩寺の門から中へは入ることなく、先を急ぐことに。
そういえば、神田明神も、今回の旅で初めてその場所を知りました。クルマで何度も通っていた場所ですが、運転しているときには、まったく気にすることもなかったのです。自転車、それも折りたたみ自転車ぐらいの速度だと、見える景色も広がるということでしょう。
高岩寺から600m少し進むと、〈庚申塚〉の信号が見えてくる。そのあたりが、板橋宿の浮世絵ポイント。しかし、実際の板橋宿はさらに先です。
◎木曽海道浮世絵ポイント_板橋之驛
東海道でもそうでしたが、各宿場の浮世絵は、宿場ではない場所が描かれていることが多いもの。現代でいうこところの観光ガイド的な浮世絵は、風光明媚な場所や、茶屋など、旅人にとって参考になるポイントが好まれたということでしょう。
ここで描かれているのは、庚申塚の立場茶屋なのだけれども、駕籠かきの姿が描かれており、車両通行禁止の案内板が駕籠をモチーフにされていたのは、この浮世絵がルーツなのかもしれません。
都電荒川と埼京線を渡る
〈庚申塚〉を過ぎるとすぐに都電荒川線の踏切があり、踏切を挟んで庚申塚駅のホームとなっています。すぐそのあとに、今度は埼京線の踏切に交わり、踏切を渡ると、すぐ左手にJR板橋駅が見えます。
予備校と大学に通った5年間近く、家族とともに戸田公園に住んでいたこともあり、板橋駅は毎日の通学で電車が停まる駅でした。まだ埼京線は新宿までしか延びておらず、予備校時代は新宿乗り換えで次の代々木まで、大学時代は池袋乗り換えで高田馬場まで通学していたのが懐かしい。
ただし、板橋駅で下車したことはなく、毎日車窓から眺めていた景色の方から埼京線を眺めてみて、しばし感慨にふける。しかも埼京線が旧中山道とクロスしていたなんて、ちょっとした感動ですらありました。
板橋駅を後にして進んでいくと、国道17号線と旧中山道は斜めに交差しており、「板橋宿」と書かれた大きな商店街の門があるので、その方向へ進む。
旧中山道は、〈とげぬき地蔵入口〉から商店街であったり、住宅街であったりしながら続いていて、この感覚、以前にも体感したことがあるなと思っていたら、旧東海道の品川宿でした。品川宿も日本橋の次の宿場。中山道の板橋宿も、往時は賑わっていたことが偲ばれます。
実際、中山道で西を目指す旅人を、板橋宿で見送りしていたよう。1800年以降、板橋宿にあった旅籠が50〜60軒。もちろんのごとく、飯盛女も大勢いたようだけれども、品川宿ほど淫靡な雰囲気は残っていません。夜ではなく朝だったから、そう感じただけかもしれませんが……。
中山道は侘びしい街道なのか?
しかし、中山道は東海道に比べると、侘しい印象がどうしても拭えません。太平洋側の東海道と比べて、山間を縫っていると云う地理的な要因も多分にあるでしょう。それに加えて文学作品や史実が中山道に一種の暗さを落としているのかもしれません。
東海道といえば、『東海道中膝栗毛』という文学作品の洒脱さの影響か、明るくオープンな印象。しかし、中山道といえば、個人的には皇女和宮の降嫁の旅路を代表するように、暗くて陰のあるイメージがつきまとう。
渡辺崋山も貧しかった幼い頃、奉公に出される弟を見送ったのが板橋宿。中山道は、別離や愛惜との馴染みが深いような気がするのです。
板橋宿の本陣があったあたりは、現在はスーパーのライフがあるあたり。そこから少し先に行くと、石神井川を渡る板橋が見えてくる。板橋宿の名前も、この橋が由来です。
現在はコンクリート製の橋ですが、欄干は木製を模しており、路面も砂舗装が施されています。旧中山道を旅しているという旅情に浸れるスポットです。
寂れた田舎町でこうした橋を見ると、風景にマッチしていないために少々興冷めしてしまうものですが、不思議と東京の街だとそれもありかなと思ってしまう。無機質なコンクリートの建物に、これまた無機質な橋ばかりだから、疑似木製のコンクリートの橋にさえも、癒やされるのかもしれません。
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