ART of photo_カメライフ

ピーター・リンドバーグの笑顔

2016.11.28@パ

話はなんと、ソール・ライターから始まる

10年以上ヘアカットをお願いしているイケさんの好きな写真家は、「ソール・ライター」らしい。真っ赤な傘が印象的な写真は見たことがあるけれど、どんな写真家であるかはまったくしらなかった。

NHKの日曜美術館が、気がつくと五ヶ月分、録画されたままになっていたので、外出自粛中ということもあって、気になるものから視聴することにしたら、なんとそこに「ソール・ライター」を特集した回があった。

番組を見終わってから、イケさんがソール・ライターが好きな理由がなんとなく伝わってきた。商業的な写真を撮ることに嫌気が差して、自分の撮りたいテーマだけを撮る。どこかで発表するわけではなく、人に見せるわけではなく、ただただ撮りたいものを撮り続ける姿勢は、自分も憧れてしまう。そんな生き方、やってみたい。

でも、番組を見終わったときに頭に浮かんだのは、ピーター・リンドバーグだった。昨年の訃報を知ったときには、まさかと信じられなかった。2016年にインタビュー(といっても、グループインタビューね)したときには、まだまだ元気だったからだ。

あれは20016年の11月、ピレリカレンダーのイベントでパリを訪れ、その年にカレンダーを撮影したピーター・リンドバーグをインタビューできるという、なんともラッキーな取材であった。

ピーター・リンドバーグは、ソール・ライターとは違い、いわゆるクライアント案件の作品をなくなる寸前まで撮り続けた(っぽい)。ピレリカレンダーもまさしくそんな仕事のひとつだったろう。

ピーター・リンドバーグは、クライアントの意向などもきっとうまく取り入れながら、自分の世界を写真で表現し続けることができたのかもしれない。一方のソール・ライターは、宗教的な問題や生い立ちなどから、自分と社会の折り合いの付け方が不器用だったのだろう。

リンドバーグの生い立ちなどは知らないけれど、一度インタビューで同席して受けた印象では、写真を撮ることが好きですきでたまらないというタイプに思えた。だから自分のファッションにも無頓着で、華々しい映画女優に囲まれながら、くたびれたパンツにスニーカーという出で立ちでもまったく意に関せず、という姿勢を貫けたのだろう。

撮る(つくる)行為そのものが、好きな人達

この感じ、誰かに似ているな、と思ったら、ヒロヤマガタさんとそっくりだった。ヒロヤマガタさんも、とにかく絵を描くことが好きですきでたまらないタイプ。会食を共にさせていただいたことがあるけれど、とにかく純粋であることがよく伝わった。バブル期の頃に受けた印象をそのまま抱いていたけれど、商業的すぎたのは、本人ではなく、周囲に利用されたようなところがあったように思えた。当の本人は、作品を描ける環境があれば幸せで、あまり金に頓着しないタイプのようだった。

しかもその日、いつもより綺麗な身なりをしているという出で立ちは、やはりちょっとくたびれたチノパンに、履きやすさ重視で選んだようなトレッキングシューズ。ぜんぜんオシャレとは程遠く、それでもいつもより小綺麗、とのことだった。

クライアントやパトロンが付いている方が、創作の規模は大きく、金銭面で自由になる。しかし逆に、精神的には制約が加わってしまうことになる。そういうお金の絡んだあれやこれやに、まったく無頓着で気にもならず、利用してやろうという気負いもなく、自然に自分の表現したいこととクライアント(パトロン)が求めるものを擦り合わせ出来る人もいれば、出来ない人もいる。

ピーター・リンドバーグは、無邪気な笑顔で周囲のすべてを引き寄せ、結果的に自分の世界観を表現し続けることが出来た、稀有なひとりなのであろう、たぶん。

実際のところはどうだかわからないけれど、写真家って、撮影のテクニック以上に、実は人間性やキャラクターが重要なのかもしれないなぁ、と思うわけです。特に人物を被写体にする場合は。

そして自分はどっちタイプ? と聞かれれば、ソウル・ライターに憧れるピーター・リンドバーグ型、と答えておこう。つまり、どちらにも振り切れない中途半端という意味です。

もちろん、編集者という立場、で。

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