ART of car life_E30 M3 diary

旅するエムスリー、中山道六十九次ドライヴ◎04_大宮

E30M3で走破した、中山道六十九次の旅の記録。2018年12月11日〜15日の4泊5日をかけたドライブの様子を宿場ごとにレポートしています。

DAY 1 4:30_大宮

2018.12.11

旧中山道よりもっと古い中山道ルート

旧中山道は、JR線の高架をくぐって今度は、JR線を左手に並行して北上。左手にJR北浦和駅を見て進むと、街並みがずいぶんと現代的になっていることがわかる。

与野駅やさいたま新都心駅あたりがそのピークだろうか。コクーンシティという再開発されたショッピングモールを右手に過ぎると、氷川神社参道「一の鳥居」が右手に見えてくる。

この参道が実はかつての中山道。参道は一方通行になっていて、E30 M3でも進めそうなのだが、ここは現在の中山道を進むことにした。

というのも、氷川神社参道がどうして中山道ではなくなったのかと云うと、神域を旅人が通るのはけしからん、ということで、ルートが変更されたらしいからだ。時は1628年。

当時、この参道沿道で店など開いて営業していた人たちからすれば、とんでもないお上の通達だったかもしれないが、不敬であるのならE30 M3で走るのもよしておこうというわけだ。

もう1点、かつての中山道を通るルートだと、大宮宿の本陣跡を通ることなく現中山道にルートが戻るためでもあった。できれば、本陣跡は通過しておきたい。

大宮ナンバーで思い出したこと

JR大宮駅への広い道をクロスして進むと、旧街道というよりは、旧商店街通りといった様相になる。いきなり道幅も狭く感じてしまうのだ。

大宮宿の山崎本陣は100m以上先にあるけれど、「すずらん通り」の前で大宮宿の宿場記念撮影。朝の4時半だというのに、LEDの電飾が点灯している。きっと夜が明けるまで点けっぱなしなのだろう。この手のイルミネーションは、12月という季節を否が応でも思い出させてくれる。

アーケード商店街である「すずらん通り」も、場末感が漂っていてなんともいい雰囲気だ。大宮宿はこのあたりの宿場の中では比較的大きかったはずだし、埼玉県でもっとも大きな都市と言われた大宮だが、「埼玉県といえば大宮」というイメージは、関東以外の出身者にはまったくない。

それはかつての県庁所在地が、いまはなき「浦和市」にあったからかもしれない。小学生で覚える県庁所在地は、大抵の場合、その県でもっとも栄えている代表的な市であるからだ。

そしていま、大宮市は存在しない。浦和市と与野市と一緒になって「さいたま市」になっている。

明治16年に、上野・高崎間に鉄道が開通した際も、浦和と上尾には駅ができたけれども、大宮にはつくられなかったという過去がある(その2年後に東北線ができたときに分岐点となった大宮にも駅ができた)。

どうも大宮とはメジャーになれないジンクスでもあるようでならない。

大宮駅に降りたことは、センター試験の際のただの1回だけだったけれど、そんな私も戸田公園に住んでいる際に大宮と深い関係があった。それは、大学時代に買ったクルマのナンバーが大宮ナンバーだったのだ。

大宮ナンバーの新車のユーノス・ロードスターで都内を走っていると、ポルシェ911とかによく煽られたなぁ、というのを思い出した。若葉マークをつけて法定速度内で走っていたら、そりゃあ煽られると云うより追いつかれてしまうだろうと今なら思い至るのだが、当時は「都内は大宮ナンバーに冷たい」と思っていたし、大宮ナンバーではないところに引っ越ししたいと思ったものだ。

大宮といえば、そんなほろ苦い思い出の地名(くどいようだが、大宮駅を降りたのは人生1度きりなので、思い出の土地では決してない)。そして、当時私の兄が乗っていたE30 325iは、所沢ナンバーだったことを思い出した。遠い遠い昔の記憶だ。

ということは、いま自分が中山道を旅するために運転しているE30 M3は、ずいぶん昔のクルマになったのだなぁ、とさらに感慨深くなってしまうのだった。旅はなにかと人をセンチメンタルにするものである。

※注:〈  〉内は、交差点名をさします。

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