ART of book_文庫随想

『アイデアの接着剤_人類よ、大義を抱け!』

いまどきのニュースソースはニュースから……

コロナ禍の影響で、テレワークが当たり前になってしまった今日この頃。みなさん、戸外にでていますか? 私はまったく出ていません。

ほんの数年前までは、家にいる方が珍しくて、国内外を問わず常にどこかに出掛けていて、それはそれで落ち着かなくて、いつか腰を下ろしてしっかりと思想の深淵に静かに沈潜していきたいとばかり思っていました。その意味では、現在の状況はぴったりです。

しかし、毎朝Macを立ちあげ、メールチェック、リアルタイムPVのチェック、チャットのチェック、メッセンジャーのチェック、LINEのチェック、SNSのチェック……などしながら、メールで届くリリースを記事に仕立てたり、頂いた原稿を配信できる記事のフォーマットに仕上げたり……なんてことをしていると、なんとなく仕事をした気分にもなるし、実際、気がつくと夕方ということもよくあります。

これはこれで、ちょっとヤバイ……。

かつて、本多勝一氏は著者の中で、記者クラブで大本営の発表を賜り、それを記事にするだけの新聞記者を批判していましたが、2020年の現在は記者クラブはおろか、どこにも赴むかなくとも情報は送られてきます。ただパソコンに向かうだけで、テキトーな記事ができあがるのです。そう考えると、まだ記者クラブに赴き、現場の空気感を感じているだけエライということもできるでしょう。つまり、いまの自分はサイテーな輩ということです。

もっと悪いのは、「どのようなデザインにしたいのか?」という考えもなく、とりあえずパソコンの前に座ってしまうこと。目の前の仕事をどんな順番でこなすか、どんなものをつくるか……。このような「頭の中で考えるプロセス」をすべて省略し、とりあえずパソコンを立ちあげて、レイアウトを始めてしまう。これはもう、致命的なミスです。Macは優秀ですから、そんなふうに初めても、とりあえずかたちにはなります。しかし、何も考えていない、パターン化されたものが、すばらしいアイデアとして、世の中に問えるはずもありません。これは、デザイナーに限ったことではありません。

アイデアの接着剤(P082)

そうはいっても、コロナ禍で仕事自体がなくなってしまうこともあるのですから、2020年のいま、自宅に居ながらにして仕事を続けられるというのは、幸せであることに違いありません。

そこで、せっかくの幸せな仕事でもあるので、手がけた記事が、たまたま読んでくれた人たちにとっても価値あるものでありたいと願うのは、マスコミ業界の最果てにいる良識ある人間なら当然の流れでしょう。

持続可能なビジネスはレスポンスは悪い

大義をもつとは、別の言い方をすると、「本当の成功」について考えることでしょう。
話題を巻き起こせば、成功なのか? 売上げ目標を達成すれば、成功なのか? 僕は、どんなに人気が出ても、爆発的に売れても、結果として人類のためにいい影響をおよばさないものは、失敗だと信じています。
誰かの犠牲の上に成り立つビジネスであれば、失敗。
言葉にすれば単純ですが、これを守るのはとても大変で、だからこそ、僕たちには大義が必要なのでしょう。大義を忘れずにいれば、成功の定義は目先のことではなく、もっと大きな規模になっていくはずです。

アイデアの接着剤(P097)

広義においては社内政治もビジネスに入るでしょう。こうした保身に身をやつして、人を蹴落として利権に固執するのも、いうなれば失敗ということでしょうか。なぜならば、それは個人の欲望であって、会社や社会の大義ではないからです。と、その前に、まずもってみっともない。

でも、こうした人がなぜか会社で重用されて、出世するんだよな〜、というのもよく聞くし、よく見かける事例であります。その理由は、その組織のトップが無能である場合が大半です。これまで見てきたいくつかの企業での経験からも、そう断言できます。縮小することはあっても、組織が大きくなっていった事例を見たことがありません。

というわけで、何事も大義がないとダメです(特に政治は)。ビジネスも売れゆき(WEBだとPV数、再生回数、フォロワー数、いいね!の数……などなど)ばかりを指針にするのって、もはや時代遅れと云わねばなりません。だれもが薄々気がついているように、資本主義経済はすでに手詰まりの状況です。数字に踊らされるのもいいですが、大義を忘れてはおしまいです。

個人化するからこそ、知性が求められる

インターネットの情報は、プロの作り手の目を通していないので玉石混淆です。その点、テレビは、完璧ではありませんが、精査された情報が入ってくる可能性が高いメディアだと思っています。

アイデアの接着剤(P175)

テレビだけでなく、雑誌も同じく。きちんとプロの校正を雇っているならなおさら精査されている〈可能性が高い〉のです。企画の段階から大勢の人が携わっていることも多く、間違いが少なく信頼に足る場合が多いのです。

しかし、師匠と弟子で構成された工房で描かれていた絵画が、個人でアトリエもしくは戸外で描かれるようになったように、映像や記事がチームではなく個人で作られるようになったと捉えるならば、インターネットは制作と発表の場を広く開放したと言えます。

一部の人のみが持っていた利権を、インターネットが開放したのです。簡単に喩えるなら、個人でテレビ局や出版社に近いことができるようになったとでもいいましょうか。それも少ない初期投資で。

ただし、忘れてはならないのが、こうして個人で作ったコンテンツを効率よくマネタイズするには、やはり大きな力が関与しているということでしょうか。裏を返せば、インターネットの情報は、価値がなくとも広く流布することが可能だということでもあります。

結局は、テレビだろうがインターネットだろうが、情報を見極めることができる個人の力、思想や知性が大切だと云うことになります。

富裕層にしても尖った人たちにしても、全体に占める割合は多くありません。感度は高くてもマイナーな存在ですから、この段階では流行には至りません。
しかし、尖った人や富裕層は、情報を発信する力もあるので、流行を広めていく役割を果たしています。

アイデアの接着剤(P177)

さらに云うならば、文化的にもエッジな人、というかさらに感度を強めていった結果、解脱してしまった人は、情報を発信することさえしないでしょう。流行を広めることに何の価値も見いだせないからです。それこそホンモノの隠遁生活。

SNSで情報を発信しているようでは、もはや時代遅れなのです。

……と、分かってはいても、仕事柄SNS(やインターネットで)情報を発信しなければならないので、時代遅れを覚悟でしばらくお仕事しなければならないことが分かった一冊。

『アイデアの接着剤』水野学/朝日文庫

アイデアを書き留めておくポストイットを思い出させるカラーリング

-ART of book_文庫随想
-,