ART of book_文庫随想

『旅の終わりは個室寝台車_鉄道では道なき道はいけません』

“私は汽車に乗るのが好きで、いまでは汽車に乗ること自体が仕事のようになり、あちこちの汽車に乗ったり乗らされたりしているが、自分の好みからすれば鈍行列車に魅かれる。歳をとるにしたがって、そうなってきている。”

確かに、わたしも歳とともに、以前とはクルマとの接し方が変わってきたと思います。かつては、500馬力以上のクルマで、とにかく短時間でどれだけ遠くまで行けるかに比重がかかっていました。

東京から青森までノンストップで走ったり、横浜から13時間で九州の武雄まで行ったり……。しかし、今はそれがだいぶ変わりました。

わたしの場合、やっぱり線路ではなくて、道路を旅するのが性に合っているのだけれども、いまもっとも心惹かれるのは、クルマではなくて自転車(それもBDー1)での移動。

同じ距離を行くにしても、クルマと自転車では、まったくその密度が違うのです。クルマで走破したことのある東海道五十三次旧道を、自転車で走破してよく分かりました。クルマで走破したときには感じることのできなかった、その土地の空気を吸うことができ、そして自分が思っているよりも起伏に富んだルートであることも分かったのです。

そんなこともあって、私の旅のテーマが、最近はっきりとしてきました。それは、「道」。クルマでも自転車でも徒歩でも、移動手段はなんでもよくて、こだわっているのは「道」だということが分かったのです(ただし、自分で進む方向を決められるものにかぎります)。だから山行もピークハントではなく縦走に惹かれるのでしょう、納得。

鉄道の旅も嫌いではありませんが、あくまでもそれは補足的なものにすぎません。輪行の際であったり、山行の際であったり……。

鉄道って、真の意味での途中下車ができません。目的の駅にたどり着く手前で降りることを途中下車と呼ぶのでしょうが、下車できるのはあくまでも駅であることには変わりありません。駅と駅の途中で降りることは、少なくとも日本国内ではまずありえません。

クルマや自転車なら、安全さえ確保できていればどこでも止まることができます。徒歩の場合なら、立ち止まった時がいつでもいわば途中下車。

目的地に向かう途中で、気になる景色が目に入ったら、気の向くままにそちらに向かうことができるのです。クルマの撮影の場合、大抵の素晴らしいカットは、このようにロケハンしながら撮影したものです。刻々と変化する自然光の下で、意図する写真を撮るには、次の駅で降りて……なんて言ってられないのです。

でも、鉄道の旅も面白いだろうなあ、ということは想像に難くありません。

時刻表を見て、目的地までパズルを組み合わせるように乗り継ぎを考えるのは、ちょっと楽しい知的作業です。そのパズルのようなスケジュールがうまくいくか否か、それを確認するために鉄道に乗るのはきっと楽しい。

途中、何かの事故でそのパズルが崩れたとしても、それをリカバーして再びパズルを組み立てるのが面白いのです。

そんなことを思いながら読了して、その後、宮脇さんの著書を何冊も読んで分かったのですが、宮脇さんは時刻表マニアでした、納得。

“乗り物には、それぞれ分不相応の速さというものがあるように思われてならない。在来線の幹線なら 九○キロぐらい、ローカル線で約五○キロ、東海道新幹線も一五○キロぐらいのときが、一番自然である。(中略)ついでに、車は一般道で三○キロか四○キロ、高速道路では六○キロが妥当と言おうと思ったが、これはやめにした。”

目の前の追越車線をこういう人が延々と走っていたら、悪気はなくとも否が応でも煽り運転になっちゃうなぁ、と感じた一冊。

『旅の終わりは個室寝台車:宮脇俊三/河出文庫』