ART of culture_西山文化研究所

ガレージとヌード

北イタリアのとある町で、ある好事家のガレージを取材していた時のこと。彼のガレージに収まる大変に貴重なヒストリーのあるクルマよりも、個人的に気になって仕方がないものがありました。それは壁に掛けられていた裸婦の写真がプリントされたプレート。しかもその写真は年代もののよう。プレート自体は年代もののレプリカ(たぶん)。裸婦の写真の横には、おそらく料金と思しき数字。おおよその検討はついていたものの、この壁にかけられたものがなんであるかは、撮影することに忙しく、尋ねることはできませんでした。

イタリア語はサッパリ分からなくとも、これが何を意味したプレートなのか直観で分かってしまうところが、男の性というものなのでしょう。

イタリアでは、クルマ関連のイベントが多く、日本で言うところの骨董市のようなものも多いのです。昔の日本人が書画や陶器などの骨董を愛でるように、彼らは古いクルマを愛しています。自分にとっての掘り出し物を探すために、彼らはそうしたイベントにこまめに出掛けてゆくのです。きっと、ガレージ取材で訪れた好事家もこうしたイベントで裸婦のプレートを購入したのでしょう。実際、私が取材で訪れたイベントで普通に売られていたので、思わず買ってしまいそうになったほど。

クルマの骨董市では、オイル、石油、自動車メーカー……などの看板が多いのですが……。
どういったサービスを提供してのお値段なのかは不明。

裸婦は娼婦(と推測)。そして料金はプレイ別による価格を示している(と、思う)。そんなものをどうしてガレージに? と思うかもしれませんが、ガレージに金髪美女のプレイメイトのポスターなら、なんとなく映画やその他で既視感ある人もいるでしょう。実際、クルマを整備するファクトリーなどで、裸の金髪美女のポスターやカレンダーが壁にかけられている光景を日本でも見たことがあります。どちらかといえば、アメリカンなテイストのファクトリーもしくはガレージ。グラマラスな美女とクルマは、男の欲望としては同じベクトル上にあるものなのかもしれません(きっと)。

つまり、娼館の料金表プレートは、アメリカで言うところのピンナップガールと同じようなものと思えば間違いありません。古色蒼然とした裸体像は、ちょっと文化の香りがして、直接的で人工的なピンナップガールとは趣がまったく異なります。どこか哀愁を感じてしまう裸婦像に、欧州とアメリカの文化の違いを見ることができるのです。「昼顔」とかの小説をついつい思い出してしまいました。さらには、アール・ヌーヴォーやアール・デコあたりにまで連想は飛躍してしまいます。裸婦のポーズなど、まんまミュシャの絵画ではありませんか。

裸婦の写真だけ見たら、いかにもミュシャの絵画のポーズでもあるようだし、クリムトの描く女性の表情のようでもある。

娼婦に文化? と思うかもしれませんが、同じようなものは日本にもあります。それは浮世絵の美人画。描かれているのは、遊郭の遊女が多数を占めています。しかしながら、浮世絵の美人画をガレージに飾っているのは見たことがありません。自動車がそもそも舶来物なのだから、相性がよくないということなのでしょう。

さて浮世絵はともかく、料金体系がなまなましい。15分いくらだとか、1時間、2時間、半日、軍人割引……。これを現代の日本に置き換えると、ソープランドやヘルスの看板といったことろ。もっともこの先50年たっても、歌舞伎町あたりのこうした看板が、クルマ好きのガレージを飾ることはないでしょう。文化とはかくも異なるものなのです。クルマの骨董市らしきものを取材で訪れ、場違いに思える裸婦像を発見して、欧州と日本の文化の違いが身に沁みたのでした。

しかし、すでに2次元のキャラクター(美少女+巨乳+ミニスカート……ヌードではなく着衣)のポスターをガレージに貼り付けた痛車オーナーがいるかもしれません。中年の日本男児としてはなんだかなぁ、と思うところですが、大英博物館で日本のマンガ展を開催する時代ですから、それはそれでありなのだろうとも思うのです(いまや、浮世絵の美人画よりもよっぽど日本らしいのかもしれないし)。
どうでもいいことですみません。