ART of cycling_二輪書

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く──三条大橋

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DAY 5 18:07_三条大橋

2018.3.27

時代から取り残されたようなエリア

京阪京津線の大谷駅の先で歩道橋を渡り、ふたたび国道1号線に合流。下り坂を下りればそこは三条、ではなくて、クルマで見慣れた京都東IC。

逢坂山の坂道と東山あたりの坂道を混同しておりました。逢坂山を下っていけば、左手に蹴上浄水場が見えてくるものとばかり……。完全なる記憶違い。

自転車だと、ここから先が意外と走り甲斐があります。最後に、旅情あふれるステージが残されているのです。

大津警察署藤尾交番が見えたら左へ

まず、名神高速道路をくぐってすぐの場所にある歩道橋の手前で、旧道は左へ折れなければなりません。

BMW i8での東海道旅のときは、ここでかなり迂回させられることになりました。東海道旧道は、国道1号線と名神高速道路に囲まれたアーモンド状の陸の孤島を、東西に横切っているためです。

交通量の多い国道1号線を離れ、この国道1号線と名神高速によって閉ざされたエリアへ。クルマでのアクセスが不便であることが、このアーモンド状エリアの開発を周囲よりも遅らせているようです。クルマがビュンビュン走る国道1号線の喧騒はどこへやら。ひっそりとしたむかしながらの旧道の景色が残っています。

国道1号線の喧騒とはまったく関係ないといった静かな町並みが残る

すぐに山科追分に出ます。「柳緑花紅、みぎハ京ミチ、ひたりハふしミみち」と書かれた標柱が建っているのが目印。ここを右へ500mほど進むと、ふたたび国道1号線に突き当たります。東海道旧道は完全に分断されてしまいますが、再びここでも歩道橋という苦肉の策で東海道旧道は保たれています。

東海道旧道を徒歩で旅するとしても、迷いやすい場所。歩道橋で国道1号線の対岸へ。

BD-1を担いで歩道橋を渡り、再び旧道へ。クルマだと、国道1号線を横切ることができないので、迷ってしまうポイントです。

最後の最後に、上り坂が待っていました

旧道に戻ってから、緩やかな下り坂を進むと府道143号につきあたりますが、この2kmほどの道幅の狭い旧道で、京都へ入ったことを実感します。つまり、クルマの運転が超粗雑なのです。「はんなり」とはうらはら。自転車だろうがなんだろうが、容赦ありません。「ああ、京都に来たなぁ」と、クルマならば運転マナーを京都バージョンに切り替えるところですが、こちとら自転車なんで轢かれたら身も蓋もないというわけで、いつも以上に周囲に気を配ってこの2kmの旧道を走破しました。

まさか、ゴール間近でこんな生活道路が東海道旧道になるなんて……。

旧道は一旦府道143号線になりますが、琵琶湖線と湖西線のガードを潜るとすぐに左へ折れて小径になります。

アパートや住宅が密集したエリアで、一見の旅人が通るのも憚られるほどの生活感にあふれています。再び府道143号線と合流するまでのおよそ1.3kmほどの道のり。観光名所とは違う、京都の風情を味わいつつ進みます。この区間は、道幅があまりにも狭く、BMW i8では遠慮させてもらったところなので、初体験です。

最後の上り坂。速度は落とさなくても出ません。

そして、最後の上り坂との格闘です。距離にしてほんのちょっとなのですが、もう上り坂はないとばかり思い込んでいただけに、そのペダルを漕ぐ脚の重いこと。だんだん狭くなる道をヨロヨロとなんとかピーク付近に到着。

山の手という言葉があるくらいですから、普通は尾根のほうが高級住宅街になるはずなのですが、ここでは逆に昭和40〜50年代の風情が残っていて、標高が高いほど庶民的な住宅が並んでいます。

山の手が高級住宅地となったのは、つまり武家屋敷があったから。その下の谷の町が町人や職人が住んでいるエリアだったのは、東京の町の成り立ちでした。公家文化の京都の町の成り立ちはまた違うのかもしれません。

三条大橋も間近という東海道旧道には、これまで寂れた宿場で見てきたような景色が待っていた。

このあたりの考察は、いずれまたの機会に、ということで、タイムスリップしたかのような寂れた旧道を抜け、府道143号線に合流。

ようやく旅は三条大橋まで下っていくだけになりました。つまり、もう重いペダルからの解放です。

綺羅びやかな京都の街へようこそ、と云う風情に。

蹴上浄水場の右手には、今が盛りの桜が咲き誇っています。ペダルを漕がずにゴールを噛みしめるように観光地京都の三条通りを下っていきます。

鴨川に近づくにつれ、人が多くなり、BD-1のスピードもスローダウン。日没前に三条大橋にゴールできました。

ゴールは次の旅のスタートです

桜の季節。京都は観光客で賑わっています。最後の浮世絵ポイントでパチリ。

三条大橋は、擬宝珠でそれとなく今にむかしを伝えています。桜の季節ということもあり、とても賑やか。日本橋からのゴールを噛みしめたいところですが、そんな雰囲気とは程遠く、早々に鴨川沿いの遊歩道を南下。

三条大橋付近はポイ捨てされたゴミが多くて、5日間のゴールとしてはちょっと風情に欠けます。もちろん、そんなことは事前に分かっていたので、先斗町歌舞練場をバックに、今回の旅の節目としました。

建築雑誌の出版社にいたときに担当した『近代建築再建』で、この歌舞練場を収録していたからです。

歌舞練場の裏手を、今回の旅のゴールとしました。

月刊『建築知識』での連載をまとめるという、ありがたい命を受けたのは、前職の映像制作会社で、東京・港区の近代建築を紹介する作品を私が手掛けていたから(旧朝香宮邸や、迎賓館赤坂離宮、堀商店などを紹介)

思えばこの作品が、私が初めて企画立案・シナリオを書いたもの。さすがに大学を出て1年目ということもあって、監督は任せてもらえませんでしたが、いま思うと、新卒の私にそんな大役を任せてくれた当時の上司たちに感謝(試されたということなんでしょうけど)。

そして、出版社で表紙から中面まで、すべてひとりで作ったのがこの『近代建築再建』(上下巻)だったのです。もともと近代建築が好きだったということもあるのですが、振り返ると、おもしろい巡り合わせです。

そのむかし、超有名な企業文化誌のデザインも手掛けていたという、典型的なデザイナー氏(つまりピーキー)との打ち合わせもいまでは懐かしい思い出。

写真家の宮本和義さんと写真の再セレクトしたのも楽しかったし、著者の山口廣先生に、連載時の誤字脱字の赤字、不明な点を入れた原稿のゲラを千葉の日大まで届けに行ったのも懐かしい思い出。

「丁寧に校正してくれて、ありがとう」というねぎらいの言葉は今でも忘れられません。

写植屋に原稿を渡すために、全編を私が原稿を打ち直したのですが、あれだけの文字数をよくやったなぁ、と(今はムリ)。若かったんですね、きっと。

5日間もかかってしまいましたが、BD-1で東海道旧道を旅したということも、いつかよくやったなぁと、思い返す日が来るかもしれません。2018年当時の年齢は46歳。当時からやりたいことはたくさんありましたが、体力がいつまで続くか……。

夕暮れが迫る鴨川べりで、恋人と語り合うのではなく、近いうちに再び日本橋から三条大橋を目指そうと誓ったのでした。次は、東海道よりももっと困難な中山道で……。

注:〈  〉内は交差点名を表します。


●GoProからの1枚

三条通りの坂道をゆるゆると下る。夕日を背景にした桜も印象的。

▼ひとつ手前の宿場はこちら

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