ART of work_編集者の憂鬱

3月11日にあたたかくなること

FFで訪れた震災後の南三陸町

2015年、ニコル・コンペティツィオーネの主催のチャリティーイベント&ツーリングを帯同取材したときのことです。その取材のために、前日にクルマを自走して仙台市内に入り、翌日の朝から南三陸町を目指しました。途中、鉄骨だけが残ったかつての南三陸町役場を訪れ、被災した方へ哀悼の意を捧げたりもしました。

その後、南三陸町産業フェアの会場に入り、カリフォルニアTと私が都内から自走してきたFFで、来場者の方達に同乗走行を体験してもらいました。

このチャリティーイベント&ツーリングに、FFで参加したのは、個人的な理由もありました。2011年の東日本大震災後に開催されたFFの国際試乗会に参加したときのことです。そのとき、われわれ日本メディアに非常に強いメッセージをフェラーリが送ってくれたのです。それに加え、当時の会長であるルカ・モンテゼモーロは、FFのチャリティー競売を実施したりもしていたので、震災とFFが、わたしの中で強く結びついていたのです。


南三陸町産業フェアのイベント終了後、ひとりでFFに乗って横浜の自宅へ向かう前に、もう一度しっかりと復興途上の被災地をこの目で確かめておこうと思いました。最初に向かったのは、南三陸町役場。もう一度ゆっくりと見ておきたかったのです。

南三陸町役場に到着すると、急激に睡魔に襲われ、ドライバーズシートに座ったまま、意識がふつりと切れてしまいました。当時は、平均睡眠時間3時間ほどの超ハードワークの毎日でしたので、気が緩んだ瞬間に、どこでも「落ちて」しまっていました。

どれくらい落ちていたのでしょう。意識が戻って辺りを見渡すと、まだあたりは明るく、撮影できる時間が残されていたのでホッとしました。それと同時に、こちらに向けられた視線にも気がつきました。南三陸町産業フェアでわたしの運転するFFに同乗試乗したご家族が、わたしが目覚めるのを「待って」いてくれたのです。

わたしと同じく息子ふたりの家族構成だったこともあって、同乗試乗後もいろいろな話で盛りあがったご家族でした。どうやらクルマで通りがかった際に、真っ白なFFが停まっているのを見つけて、私に声を掛けようと思ったらしいのです。そして爆睡している私を起こすことなく、目が覚めるまで待っていてくれたのでした。その間に、(たぶん奥様が)先ほどのお礼にと地元のお土産を買ってきてくれていたらしいのです。

被災地の方達に元気を届けようとやってきたのに、逆に元気を頂いたのはわたしの方でした。

読者の言葉に励まされ

東日本大震災直後、能天気に極めて趣味性の高いクルマ雑誌を作っていていいものかどうか、悩んだ時期もありました。もっとほかにやるべきことがあるんじゃないかと。しかし、こんな時だからこそ、読んだ人に夢を与えられる雑誌を作らないと、という気持ちもありました。だからこそ、それまで以上にスーパーカーに特化した特集内容に絞り込んで、クオリティを上げていくことにしたのです。その頃私が作った雑誌を手に取った方のなかに、生きる目標になった方がいたということは、以前ブログにも書かせてもらいました。

自分が好きで選んだ職業ですから、納得のいくページ、雑誌が作れれば、それだけで十分に満足です。とはいえ、読者の方から頂く贈り物は、わたしにとってはご褒美であり、次へと繋がる活力・励みとなります。もちろん、この日いただいた贈り物は、その後の雑誌づくりの励みになったのはいうまでもありません。補足しておくと、贈り物とは実際のお土産だけでなく、読者からの言葉や読者との交流も含めて、です。

毎年3月11日になると、震災当日と同じくらい、2015年の南三陸町役場での出来事を思い出してしまいます。そして心がほのかにあたたかくなるのです。

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