ART of book_文庫随想

『美の呪力_スポーツでの美しさを考える』

過程ではなく結果だけが求められる今日

結果がすべて。

経済活動からスポーツにいたるまで、最近の風潮はそのようです。

問題は、求められる結果が急を要しているところでしょう。
長い目で見て結果を出すためには、耐える時期が必要であることが忘れられているようです。

勝つためには手段を選ばないのは、結果がすべてだから。
日大アメフト部の不祥事もそう。
これは怪我を負わせて、その後の大会に相手選手が出場できなくなれば、さらに有利になるという判断もあったようなので、論外ではあります。
ルールにも則っていなかったので、たとえ結果を残すためとはいえ、弾劾されて当然です。

では、甲子園での松井秀喜の5打席連続フォアボールは?
ルール違反ではないし、勝つための作戦として成功した例ではあります。
しかし、なぜ、いまだに汚点として語られているのでしょう。

サッカーワールドカップでのポーランド戦で日本が取った8分間のパス回しのプレーは?
セネガルがもし追いついていたら?
そもそも、ポーランド戦には負けていた日本。
負けているチームが時間稼ぎのボール回しをしても当然、ルール違反ではありません。

美しくなければ意味がない

では、どうして後味が悪いのでしょう。
現に海外メディアからは、非難のコメントが多数上がっています。

それは、簡単に言ってしまえば美しくないからです。

『挑戦』──すべての戦いは、挑戦という姿においてある、そう言いきりたい。そこで勝敗はすでに決定している。それはまた高度なモラルなのだ。血を流す、命のやりとり、差引き何人残ったなどというのは、卑しい些末時でしかない。
 挑戦は美であり、スタイルだ。
 それは冷たく、そして熱く、華やかにうちひらく。私はそこに最も人間的な誇りを、言葉をかえれば芸術の表情を見とるのである。
 挑戦する。勝利者でありたいと激しく熱望する。しかしその勝利のために一人の敗北者も生まれない勝利だ。ちょっと異様に聞こえるかもしれないが、自分が勝つために、破れた者がいるなんて、私には不潔な気がする。戦いは人間の運命の透明な流れでなければならないのだ。伝説とか芸術表現のなかには醜い敗者はいないのである。

もし、日本が最後の最後まで攻め込んで、それで決勝リーグに行けなくなったとしても、醜くはならなかったはず。
最後まで攻めの姿勢を貫けば、同点に追いついても追いつけなくても、決勝リーグに進出できてもできなくても、美しかったはず。

ま、決勝リーグに進まないことには、いろんなところの利権が潤わないわけですから、最後はやっぱりお金なんですけどね。

結局、敵は自分。誰かに勝つとかそんなことは些末なことでしかなく、自分の挑戦が勝利するか否かが大切だと感じ入った1冊。

『美の呪力岡本太郎/新潮文庫

太郎の文字は、「字の呪力」にあふれてます。

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