BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。
DAY 4 14:39_宮宿
2018.3.26
ひつまぶしは、思い出の中でだけで
名鉄常滑線のガードをくぐると、右手に伝馬町一里塚が見えてきます。
そのすぐ先が都々逸発祥の地。宮宿の江戸方もちょうどこのあたりになります。
このまままっすぐ進みたいとろこですが、伝馬町駅前の県道225号線は中央分離帯に植え込みがあるために、信号のある場所まで迂回する必要があります。
無事に県道225号線を渡り旧道へと戻ると、200mほど先にT字路が待っています。東海道旧道は左、熱田神宮が右です。
宮宿の浮世絵ポイントは熱田神宮なので、とりあえず右に曲がります。
〈熱田神宮南〉は、歩道橋で渡り、熱田神宮正門の第一鳥居前で撮影。のんびりしている暇はないので、すぐに旧東海道の道標の場所まで戻り、旅を進めます。
県道247号線に出たら、すぐにまた歩道橋で向こう側に。歩道橋からは「ひつまぶし」で有名な蓬莱軒の姿が見えます。宮宿の本陣跡はまさにこのあたり。
予約をとって、さらに並んで食べたひつまぶしを思い出しながら、七里の渡しを目指します。
旅を続けるかやめるべきか、それが問題
蓬莱軒からは300mほどで七里の渡しに到着。
公園として整備されており、七里の渡しは海へと、否、川(堀川)へと突き出しています。
埋め立てが進んで、海ははるか遠くになりました。
熱田神宮からほぼ10分足らずで七里の渡しに到着しましたが、すでに15時前。3月25日の名古屋の日の入りは18時08分。明るいうちにBD-1で走ることができるのは、実質3時間弱でしょう。
ここで2つの選択がありました。
ひとつは、BD-1の旅をひとまず中断し、名古屋駅へ向かい、新幹線で横浜へ帰宅すること。
もうひとつは、本日行けるところまで進み、翌日に三条大橋を目指すこと。
ナチュラルハイになっていたせいもあって、5秒で出した答えは、「5日間で旅を完結させてしまおう」というものでした。
後日、再び宮宿から三条大橋までを2日間かけて走破してBD-1の旅を終えることも考えましたが、「一気に走破」してこそ、街道旅をする意義があると考えたのです。江戸時代の人々が当然そうであったように。
急がば回れで遠回り
しかし、4日目の午後ということもあってか、疲れが溜まっていたようです。その証拠に、桑名までのルート選択を初歩的なミスで失敗してしまったのです。
もし、時間に余裕があったならば、熱田神宮に向かったT字路まで戻り、佐屋街道で桑名を目指すのがベストだったかもしれません。
しかし、そんな時間的・体力的余裕はなくて、ついついGoogle Mapで桑名までのルート検索をしてしまったのです。
しかもそのルート検索の結果が、東海道旧道の舟でのルートにそこそこ近いのです。
弥次喜多のふたりが辿った渡船でのルートに近いルートを、陸路で行くのも面白いと判断したのが運の尽き……。
Google Mapが指示するままに名古屋港の方へ南下したのですが、なんと示されていた名四国道の入り口に「小特・原付 軽車両」が通行止めの表示。ということは、自転車ももちろん通行止めでしょう。
名四国道の側道を使って西へ向かうことも考えましたが、いくつも橋があり、万が一橋を自転車で通れない場合面倒です。
急がば回れという諺どおり、東海通りまで戻って、西へ向かいました。
後日、ストリートビューで確認したところ、私が名四国道に入ろうとしていた「港陽IC」あたりこそ、いわゆる自動車専用道路みたいでしたが、その先は橋でも歩道があったようで、無事に桑名までたどり着けたようです。
結果として4〜5kmほど多く走ることになりました。事前に宮宿〜桑名宿間のルートを調べておくべきでした。
別の通行できない区間は、現在通ることができるルートを示してくれていた東海道の地図アプリも、なぜかこの区間だけは海路だけしか案内していないんですよね、親切なんだか不親切なんだか……。
注:〈 〉内は交差点名を表します。
●GoProからの1枚
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