BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。
DAY 5 9:25_関宿
2018.3.27
関宿は観光地として勝ち組の宿場です
鈴鹿川沿いの道は〈小野川橋東詰〉で国道1号線に合流。160mほど進むと関宿と書かれた大きな看板が見えるので、1号線から右に分岐します。
道幅の狭い東海道旧道を進んでいくと、左手に関一里塚と鳥居が見えてきます。ここが関宿の江戸方、この先1.8kmほど宿場が続きます。
1984年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された後に整備されたのでしょうか、いきなり道路もわかりやすく砂舗装に切り替わります。
関宿は中山道の奈良井宿のようにむかしの町並みが長い距離にわたって今に保たれています。奈良井宿に比べると道幅が狭いですが、通りの雰囲気は似たような印象です。
それまでにも関宿と奈良井宿は撮影で何度か訪れていますが、どっちがどっちだったか、記憶が曖昧な時もありました。
しかし、今回はクルマではなく折りたたみ自転車なので、しっかりと関宿の景色は記憶に刻まれたのでした。
少なくとも3回以上、関宿に撮影のために訪れていますが、そのうちの2回は、BMWでした。F10 M5とi8。M5はボディカラーこそ地味でしたが、V型8気筒のM社製エンジンの奏でるサウンドは存在感たっぷりなうえに、そこそこボディサイズも大きくて、ちょっと停車して撮影するというわけにもいきませんでした。
i8のときも夕方に到着したせいもあって、クルマの通りも多く、停車して腰を据えての撮影というわけにもいきませんでした。どちらもスタッフとふたりでのロケだったから滞りなく撮影ができた次第。
しかし、BD-1、しかもまだ観光客が歩いていない朝なので、気に入ったところで好きに撮影ができます。これは自転車ならではでしょう。
クルマで走っただけでは気が付かなかった、その町に住んでいる人たちの生活や旅人向けの施設など、2km弱の関宿に見ることができました。映画のセットや書割のような景色に、ようやく少しだけ人の気配が加わりました。
川北本陣跡近くが浮世絵ポイントなのですが、うっかり撮影することを忘れてしまっていたのはご愛嬌です。
一休和尚と関地蔵の逸話から考えたこと
関宿の江戸方から1kmほどのところで三叉路になって、パッと視界が開けます。ここにある関地蔵院には、美しい姿で評判の地蔵が祀られています。
「振袖着せて奈良の大仏さん婿にとろ」と俗謡に歌われているほどです。
地蔵といっても雨に濡れて立つ石地蔵ではありません。座禅像です。大仏さんを婿に取ろうというぐらいですから、尼僧の座禅像なのでしょうか?
この地蔵の開眼供養にまつわる逸話が残っています。
たまたま通りかかった一休和尚が村人たちから頼まれて開眼供養を行うという逸話です。一休和尚は快諾して「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ出でぬ間の かかる世に 目あかしめ地蔵」と経ではなく歌を歌って、立ち小便して去っていったそう。
村人たちはこれに怒って、再度開眼供養を別の僧に頼むことにしました。九条の袈裟姿で高座に上って、鉦を打ち鳴らし水晶の数珠を使って、それはそれは長くて難しい経をよんだのです。
村人たちは納得してこの僧をもてなしたのですが、その晩に村人のひとりに地蔵が取り憑いたのです。取り憑かれた村人は高熱を出し、「名僧の供養によって開眼したのに、なぜにつまらぬ供養のやり直しなどして迷わすのか、もとに戻せ」とうわ言をいったのだとか。その後の顛末は割愛。
いかにも風狂な一休らしい逸話です。飲酒・肉食・女犯も厭わなかった一休ですから、もし関地蔵の座禅像のモチーフが尼僧だとしたら、開眼供養のやり直しを求めて村人に取り憑いた地蔵の言葉にも深みが増してきます。日本ではむかしから取り憑くのはたいてい女性ですから。
地蔵ひとつでこのように想像の翼を羽ばたかせることができるのが、旅のいいところかもしれません。
そして地蔵の開眼供養にまつわる逸話は、別の意味で考えさせられることもあります。つまり、現在の姿の関宿は、観光客には喜ばれるかもしれませんが、旅人にとっては書割でしかすぎないという……。
注:〈 〉内は交差点名を表します。
●GoProからの1枚
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