BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。
DAY 5 11:08_坂下宿(鈴鹿峠)
2018.3.27
鈴鹿峠はいつも旅人と話す場所だった
宿場町には連子格子の建物だったり、かつての街道筋だったことを連想させる雰囲気が残っているものです。
しかし、坂下宿にはそうした残り香がほとんどありません。確かに、沿道沿いに民家が増えますが、それは山間の道路を走っていれば普通にある集落と一緒です。
もともと小さな宿場だったならば気にもなりません。しかし、かつては本陣が3軒と脇本陣1軒をあわせて旅籠が51軒もあったという賑わった宿場でした。この栄枯盛衰ぶり、落差ぶりは東海道でも1、2位を争うほどといっていいかもしれません。
明治以降の鉄道の開通によって交通の流れが変化すると、急激に坂下宿は寂れてしまったのです。
鈴鹿峠を越えるためのエネルギー補給を取ろうにも、自販機ひとつしかありません。コカ・コーラを購入し、非常食でエナジーチャージです。
しかし、この寂れた雰囲気が旅情をそそるのか、徒歩で旅している人の姿をちらほら見かけます。坂下宿の京方近くにある岩屋十一面観音菩薩の前でコーラを飲んでいると、一人旅しているおじさんに声をかけられました。「十一面観音菩薩って、これですかねぇ?」と。
東海道五十三次のガイドブックを広げながら、沿道の史跡名勝をひとつひとつ見て歩いているようでした。時間が許せば、おじさんのようなのんびりした旅もいいなぁと。
そういえば、BMW i8で旅したときも、ちょうどこの先の道で撮影していたら、やはり徒歩で東海道を旅している人と話したことがありました。その人は、休日を使って少しずつ旧道を制覇しているということでした。そうそう、そのとき、雑誌の企画ではなくてプライベートで、しかも自分の脚で東海道を制覇しないと意味がないなと思ったのです。で、BD-1で旅することにしたのでした。
峠かトンネルか、それが問題だ
さて、岩屋十一面観音菩薩前を過ぎるとすぐに国道1号線に突き当たります。このあたりの国道1号線は一方通行です。突き当たった国道1号線は逆方向。西へと向かう国道1号線へつながるパイバスもありますが、クルマも走ることができる側道で鈴鹿峠を目指します。
側道を600mほど進むと、東海道旧道は右へと国道1号線からそれます。いよいよ峠越え、山道という雰囲気です。
杉木立の中を進んでいくと片山神社に行き着くのですが、この途中が実は1650年まで坂下宿でした。1650年に水害に遭い、宿場を移設したのです。水害や津波で移設した東海道の宿場は坂下宿だけではありません。日本はむかしから自然災害と隣合わせだったということです。
片山神社までは自力でペダルを漕いで上ったのですが、その先は未舗装になり、後輪がグリップしなくなりました。残念ながらBD-1から降りて押して登ることにしました。
国道1号線の下をくぐって途中の階段を担いで登りついた先は、開けた広場でした。
ここでふたつの選択肢に迫られました。
ひとつは、鈴鹿峠へと向かう旧道である自然歩道を進むこと。ただし目の前には階段があり、きっと未舗装路。山道に違いありません。
ふたつめは、危険を犯して一方通行の国道1号線を渡り、ガードレールで安全な歩道でトンネルを通過すること。
中山道旧道をBD-1で制覇した今ならこれくらいの距離なら迷いなく自然歩道を選択しますが、当時は未舗装路をBD−1を押して歩くことに抵抗があり、i8のときと同じく未舗装路は迂回することにしていたので、迷いなく国道1号線の歩道で旅を進めることに決定しました。
鈴鹿トンネルを抜けると、当然鈴鹿峠を越えたことになります。
予想していたよりもあっけなく鈴鹿峠越え終了。
道路というよりもはや建造物である新名神高速道路の下をくぐり、旧東海道のルートをなるべくトレースすべく猪鼻村の集落を通り抜け、土山宿を目指します。
注:〈 〉内は交差点名を表します。
●GoProからの1枚
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