BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。
DAY 5 11:55_土山宿
2018.3.27
神社の参道が東海道旧道
鈴鹿峠を越えるのにどれほどの時間、どれだけの体力が必要かよくわからなかったこともあり身構えていたせいでしょうか、トンネルを使って鈴鹿峠をクリアしてしまった後、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまいました。初日の箱根峠越えの記憶が鮮明に残っていたせいでもあります。
まだゴールしてもいないのに、もうゴールしたようなそんな気分。京都駅から新幹線で本日中に横浜まで戻ることができる算段がついてしまいました。つまり、とうとう旅が終わってしまうということです。
ホッとしたような、寂しいような……。って、そのまえに、あと70kmほど残っています。
猪鼻村の集落を抜けて国道1号線を400mほど進むと、旧道が右手に見えます。その旧道を走るとすぐにピカピカのいかにも東海道の橋でございます、といった観光目的の「かいどうはし」が見えてきます。擬宝珠がまだ黒ぐろとしていて、新しい橋です。平成17年に完成したようです。
そしてここが土山宿の浮世絵ポイントでした。
橋のかかっている川の名称は田村川。橋を渡ると田村神社があります。坂上田村麻呂を祀っているそう。なんとも義務教育時代を思い出させる懐かしい名前。
橋の向こう側は、なんだか鬱蒼と樹々が生い茂っているのですが、橋を渡ってその理由がわかりました。なんと田村神社の参道になっていたのです。
東海道旧道をここまで走ってきて、参道が旧道になっていたことろって記憶にありません。ただしこれには理由がありました。
本当は「かいどうばし」から下流に600mほどのところに渡り場があったそうなのです。東海道旧道の大河川には橋がかけられていませんでした。それは幕府が禁止したためといわれていますが、その理由は諸説あります。
そもそも田村川にも橋がかけられておらず、大水が出るたびに渡り場で人がなくなることから、東海道の道筋を変えて「田村川木橋」をかけたのです。きっと、大水が出るような田村川ですから、橋が流されず、そしてかけやすいなどの要件を満した場所がここだったのでしょう。そうした諸条件が重なって神社参道の脇に橋がかかり、参道が東海道のルートになったのです。
征夷大将軍と大カニ伝説とわたし
参道を抜けると、再び国道1号線に突き当たります。信号はないのですが、歩道橋で国道1号線を渡ることができます。渡った先の道の駅「あいの土山」とたこ焼き屋に挟まれた道が旧東海道です。
たこ焼き屋には、「厄除 田村神社 かにが坂飴」という看板も。もともとはかにが坂飴を売っていた店が、たこ焼き屋もはじめたと推測できます。
かにが坂飴には伝承が残っています。鈴鹿峠に棲みついた巨大なカニが、旅人や近隣住人に襲っていたそう(カニの大きさ、なんと3mとも!)。そこに恵心僧都が訪れて、そのカニに説法したところ、カニの甲羅が8つに割れて姿を消したという伝承です。
ここからさきの伝承はさまざまです。甲羅を埋葬したら、カニの血が固まって8個の飴になった等々いくつかあるようですが、死んだカニの何かを厄除けとして恵心僧都が村人に授けたということになっています。
人を襲うような大きさのカニなんて、まずありえないので、ここはカニ=盗賊かなにかと考えるべきでしょう。なにはともあれ、かにが坂飴は8個入というのが決まりのようです。
参道を抜けると、再び国道1号線に突き当たります。信号はないのですが、歩道橋で国道1号線を渡ることができます。渡った先の道の駅「あいの土山」とたこ焼き屋に挟まれた道が旧東海道です。
たこ焼き屋には、「厄除 田村神社 かにが坂飴」という看板も。もともとはかにが坂飴を売っていた店が、たこ焼き屋もはじめたと推測できます。
かにが坂飴には伝承が残っています。鈴鹿峠に棲みついた巨大なカニが、旅人や近隣住人に襲っていたそう(カニの大きさ、なんと3mとも!)。そこに恵心僧都が訪れて、そのカニに説法したところ、カニの甲羅が8つに割れて姿を消したという伝承です。
ここからさきの伝承はさまざまです。甲羅を埋葬したら、カニの血が固まって8個の飴になった等々いくつかあるようですが、死んだカニの何かを厄除けとして恵心僧都が村人に授けたということになっています。
人を襲うような大きさのカニなんて、まずありえないので、ここはカニ=盗賊かなにかと考えるべきでしょう。なにはともあれ、かにが坂飴は8個入というのが決まりのようです。
当然、これまでの名物菓子と同じく、ここもスルー。この旅はストイックな旅なのです。
BMW i8で通ったときは夜だったこともあって気にもとめませんでしたが、路面は砂舗装となっていて、連子格子の建物をちらほら。徒歩だとなかなか旅情あふれる道のようです。
クルマの往来も少なく、オーラスへ向けて気分を高めてくれる風景が続いています。たこ焼き屋から1kmちょっと走ると「来見橋」が見えてきます。小さな橋ですが、江戸時代の東海道の様子を描いた陶板が埋め込まれています。こちらは平成13年の竣工。そしてこの辺が土山宿の江戸方になります。
土山宿の本陣跡あたりには、趣のある連子格子の建物が残っていて風情を感じられます。土山宿の沿道は、いまも普通に人々の暮らしが営まれており、観光地のような雰囲気ではありません。しかし、徒歩や自転車で東海道を旅する人を迎えてくれるようなあたたかさが感じられるのです。
ほどなくして旧道は国道1号線に合流します。そのあたりが土山宿の京方となります。
国道1号線沿いにむかしからある道標が取り残されるようにして敷地の角に建っています。その先を右の旧道へと進むのですが、野洲川を旧道は渡ることができません。案内板があるのでそれに従って再び国道1号線へ戻ります。
「歌声橋」という自転車と歩行者専用の橋を渡って、野洲川を渡って、50番目の宿場である水口へと向かいます。
注:〈 〉内は交差点名を表します。
●GoProからの1枚
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