ART of book_文庫随想

『ヴォーグで見たヴォーグ_世界の崩壊は近い?』

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COVID-19で大きく変わる価値観

新型コロナウイルスの影響を受けて、ジョルジオ・アルマーニが、「ファッション業界の現状をリセットしてスローダウンする貴重な機会である」というような趣旨のコメントを出している。

流行を追いかける、という表現があるが、いまや消費者は流行になるのかどうか分からないものを、危機感に煽られて先行投資している状況だ。

たとえば、秋冬モノは、初夏には小売店に並ぶ。暑い暑い真夏の7月8月、そして残暑の9月を過ぎても、心地よく着ることが出来ない服を、6月に買わされるわけだ。単にブランド名だけで。

ファッションのライフサイクルは、かつてないほどに目まぐるしい。数ヶ月、いや敏感な人なら数週間しかない、とまで言われている。

最新のトレンドを手に入れていないと気がすまない人たちに向けて、ラグジュアリーブランドがこうした手法を取るのは、ファッションだけでなく、クルマの世界でもそうだ。高額なクルマのライフサイクルはどんどん短くなっている。

加えて、ラインナップモデルをベースにしたフューオフモデルや限定モデルを乱発して「特別な人しか購入できない」と消費者の心を煽り、より高額で売りつけている……ということは、どうでもよくて、アルマーニのそうしたコメントをネットで読んだときに思い出されたのが、グレース・ミラベラの自伝だった。

ステージでファッション・ショーが開かれるようになったころから、服の崩壊は始まった。ファッションが力を入れる部分は、デザインではなく、プレゼンテーション、つまりいかに見せるかになった。デザインは近寄って眺めてはじめて分かる。そしてプレゼンテーションは五百人(かそれ以上)の観衆を集めて、人々を楽しませおもしろがらせるものである。楽しませようとするなら、大げさな動作や絶叫やショックを引き起こす仕掛けが必要だ。一九八〇年代にその集大成となったのが、クリスチャン・ラクロワである。

P291

カーデザイナーにもプレゼン力が大切になって久しい。この場合のプレゼン力とは、つまりできたものをいかにこじつけて解説するか、だ。見る人にどう感じさせるかではなく、こう感じてくださいと文字通りプレゼンするわけだ。言うなれば、デザインのプラシーボ効果……ということはどうでもよくて、グレース・ミラベラは、ファションではなく、スタイルを追求したエディターであった。

わたしが情熱を傾けてきたのは、スタイルの追求である。スタイルとは女性が自分をどう表現するか、世界とどのように接していくかの姿勢である。服をどう着こなすかであり、それ以上のもっと深い意味がある──つまり女性の生きる姿勢だ。値段の高い最高級品でドレスアップするかどうかは、スタイルとは何の関係もない。スタイルは、金額も流行も「こぎれいに装う」ことも超えたところにある。

P17

ミラベラは、VOGUEの前編集長。VOGUE編集長といえば、アナ・ウィンターが有名だが、ミラベラはその前の編集長だ。『プラダを着た悪魔』のモデルにもなったと言われるアナに憧れる人は多いだろう。しかし、いつまで経ってもキラキラしすぎちゃって、以前からどうにもニガテなタイプではあった、カッコいいとかカッコ悪いとか、そういう次元ではなく(つまり人間的に)。

ミラベラも、その前の編集長であるダイアナ・ヴリーランドも、年齢に応じた凄みや人間味が外見から滲み出していたものだが、アナは違う。喩えるならば松田聖子。見た目はもはやサイボーグのようでもある。「アナ・ウィンターを着たアナ・ウィンター」だ。それに比べるとミラベラやヴリーランドは美空ひばり、といったところか。

そのように個人的に感じていたことが、本書を読んですんなりと得心した。私がアナ・ウィンターに感じ取っていたことを、ミラベラはもっと身近に感じていたのである。

しかし雑誌業界で何十年間も働くうちにわたしが学んだのは、一時代を築いた偉大な編集者は、つぎの時代がやってくると失脚するということだ。

P152

1980年代になると、ミラベラの時代は終わった。時代が求めたのは、クリスチャン・ラクロワであり、アナ・ウィンターであった。ジェシカ・デイヴスからヴリーランドへ、そしてヴリーランドから自分へと、編集長交代劇を身近に見てきたミラベラは、自分がVOGUEを追われる日のことを、予感していたに違いない。

雑誌の売れ行きが好調であっても、誌面のクオリティがいかに高くとも、その日はいずれやってくる。妬みの多いファッション業界のトップにいるならば、なおさらだろう。

なにもかも、スローでよくない?

さて、新型コロナウイルスを人類がうまく攻略したあとの世界がどうなるかわからない。しかし、冒頭のアルマーニのように、これまでの資本主義のやりかたが、いろんなところで行き過ぎていることに、疑問を感じていた人は多い。昨今流行りの「持続可能」ではないことに気がついていて、見て見ぬ振りをしている人たちだ。

アルマーニの言うように、ファッションの世界はスローファッションが見直されるかもしれない。ミラベラが求めていたスタイルの追求こそ、大切だという時代になるのかもしれない。それくらいの価値の転換が、この数年先におこるかもしれない、というか、起こって欲しいという期待はある。そのとき、アナ・ウィンターも歴代編集長と同じ運命を辿るだろう。

ルパート・マードックとジョン・エヴァンスと最初に話し合ったアイデアでは、ファッションではなく、スタイルに焦点をしぼった雑誌を作ろうというものだった。広義の意味でスタイルを訴える。どこに旅行し、どんな本を読み、自分自身をどうとらえ、より広い世界にどう目を向けていくか──わたしたちの生活のあらゆる側面をいきいきと輝かせる情報を掲載する。ファッションと美容の情報も雑誌には入ってくるだろう。だが政治、ユーモア、ビジネス、心理学、小説、健康、パフォーミング・アートの記事も入れる。ファッションを取り上げるときには、流行情報とわたしたちが心から賞賛したいファッションとを区別する。美容記事では、女性の生活において美が果たす役割を検討する。

P354

VOGUEを去った後、ミラベラはマードックから誘いを受けて、「ミラベラ」という新雑誌を創刊する。その際の雑誌の方向性をマードックと話しあったときの一節だ。

ミラベラが志す雑誌の方向性は、商業誌である以上、かなり難易度の高いものとなる。真実が書かれる媒体には、往々にしてスポンサーはつかないものだからだ。

取り上げる事象は異なれど、ミラベラがマードックに語ったような内容のメディア、編集者と名のつく職業である人なら、誰しもが一度はつくりたいと思ったことがあるだろう。少なくとも、私は同じようなことを20年以上思い続けてメディアに携わってきた。

たとえば、「ファッションを取り上げるときには、流行情報とわたしたちが心から称賛したいファッションとを区別する」とミラベラが書いていることは、スポンサーに管理された情報と真に伝えたい内容を区別するということだ。

私が携わってきたクルマ雑誌なら、こうも書き換えられる。「クルマを取り上げるときには、リリース情報(スポンサーサイドの都合の良い情報)と、わたしたちが心から称賛したいクルマ(とクルマ文化)とを区別する」と。

もちろん、そんなことを読者に気取られぬように、巧妙に台割を引くわけであるが……。

しかし、新型コロナウイルス以後の世界で、人々の意識・価値観が大きく変わることになれば、メディアのあり方、というか表現の方法も大きく変わり、評価される基準も変わるのではないだろうか(と、淡い期待)。

まずは、ファッション業界がアルマーニが語るようなスローファッションに移行するかどうかに注目しておこう。

編集長って、辞めたいと思っていても、自分からはやめられないというのは、誰でも同じであることが分かった一冊。少なくとも、内容が充実していて、手を抜いていない状態で手離れできるのは、編集長として幸せ、なのである。

『ヴォーグで見たヴォーググレース・ミラベラ・実川元子訳/文春文庫

雑誌の表紙って、編集長の個性というか、センスがもっとも出るところ。だからというわけでないけれど、手が抜けないのです。

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