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タダでドゥオーモを楽しむ③_昇天のときがきたようです

2018.09.28

疲れました……お迎えが来たようです

「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ」

取材に原稿執筆、ああ、撮影した写真も現像しないと(パソコンで)。ラフも引かないとな。そういえば、依頼していた原稿も届いてないな。あ、表紙のデータ、印刷所のサーバにアップしないとな……。その前に、なんだか、とても眠いんだ……。

ドゥオーモの正面の門(たぶん)の前に立っていると、どこからともなくネロの声が聞こえてきそうです。しかし、あれはアントワープの大聖堂。イタリアではなくベルギーでのお話。

ついに、自分の過酷なワークスタイルは、幻覚を見せるほどハードな域に達したのだろうか。うーん、単なる目の疲れ? それともナチュラルハイで、神の訪れを目の当たりにしてるのだろうか。

扉の足元が、仄かに照らされています。

ドゥオーモの真正面にある、固く閉ざされた門扉が、ほのかに照らされているのです。朝陽は、ドゥオーモの正門とは逆から差しています。照明はどこにもありません。

ネロも、光の天使に誘われながら、昇天していきました。ついについに、私も!? しかし、クリスチャンではないんだけど。

扉を照らしている光源はどこに?

神の光に導かれて、昇天……ん?

そういえば、NHKの朝の連続小説で、主人公である音のなくなった父が、あの世から舞い戻ってくるという回がありました。閻魔大王に許されて、人間界に戻ってくるのです。でも、音の父はクリスチャンだったはず。設定が、おかしくない? もうそのことばかりが気になって、肝心のドラマに集中できませんでした、時代考証とか、きっちりやってんじゃないんかーい! という話はどうでもよくて、きっと宗教もボーダーレスの時代なのです。

そんなわけで、無宗教の私が、神の光に導かれ、いざ、ドゥオーモの門を開かん……。いや、天使に導かれて昇天せん……。

その前に、この世との別れ、今一度現世を見ておこうと振り返ってみれば、窓のガラスに反射する一条の朝陽。

朝陽がガラスの窓で反射していただけでした。

幻覚ではありませんでした。

もちろん、光の天使が降りてきているわけでもありませんでした。

ただの自然現象だったのでした。

ほかの場所もよく見てると。やっぱり朝陽に照らされていました。

このあとの長い長いイタリアでの取材の一日が、とても幸あるものだったというのは言うまでもありません。やはり、旅先での早起きは三文の徳、なのでした。

▼ドゥオーモの朝の散歩で感じたイロイロ

  • この記事を書いた人

ニシヤマヨシヒコ

大学卒業後、ドキュメンタリー映像の助監督を経て出版業界へ。某建築雑誌の版元で編集技術をマスターし、クルマ系雑誌編集部のある版元へ移籍。その後、版元を渡り歩きながら興味の赴くままにカメラ雑誌、ガレージ雑誌、グラビア誌のほかにBMWやランボルギーニの専門誌などを立ち上げ、2017年までスーパーカー専門誌の編集長を務める。2019年からはWEBマガジンの新規立ちあげならびにリニューアルに編集長として携わり、現在フリーで活動中。日本旅行作家協会会員。

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