ART of car life_E30 M3 diary

旅するエムスリー、中山道六十九次ドライヴ◎05_上尾

E30M3で走破した、中山道六十九次の旅の記録。2018年12月11日〜15日の4泊5日をかけたドライブの様子を宿場ごとにレポートしています。

DAY 1 4:49_上尾

2018.12.11

氷川鍬神社で地母神信仰に思いを馳せる

大宮のすずらん通り前で撮影して、高崎線に平行して県道90号→164号を北上する。正しくは、中山道の方が先に通ったのだから、高崎線が中山道に並行していると表現した方が適切だろう。

旧街道はそもそも人の往来があったルート。そのルートに沿って鉄道が敷かれたのは当然と言えば当然。面白いことに、大宮宿の近くに大宮駅が、上尾宿の近くに上尾駅が存在している。つまり、たったひと駅しか離れていない。距離にして8.4kmほど。

撮影場所を探すために、途中で中山道を行ったり来たりしたせいか、予定よりも時間を費やしてしまった。6時になると、朝の配送だけでなく出勤の往来も増えてしまうので、なんとか日の出前に市街地を抜けておきたいところ。

そんな焦りもあったためか、上尾宿を思わず通り過ぎてしまうところだった。というか、本陣近くを通ってもまったくそれらしい雰囲気もなく、宿場の江戸方がどこだったかもよく分からない始末。つまりそれだけこのあたりの中山道はシームレスに栄えたということでもある。

薗部澄著の『写真 中仙道』でも「上尾は町だと思っていたら市だった。これといって中心のないような市だ」と描写されている。1960年前後に薗部が受けた印象を、まったく異なる風景で60年近い歳月を経ても感じるとは、それが上尾なのだろう。

かつての本陣があった場所近くに氷川鍬神社があったので、その前で停車。道を隔ててコンビニエンスストアがあり、その灯りを頼りに上尾宿での証拠写真を撮影。

氷川神社はよく目にするが、氷川“鍬”神社とは珍しい。それもそのはず、もともとは鍬太神宮と呼ばれており、ご神体は鍬二挺であったそうだ。

それが、明治になって氷川女体神社を合祀した際に、氷川鍬神社となったとのこと。かつて大地=耕作地は女性に喩えられおり、地母神として祀られていた。と、いうことを考えると、“女体=大地”を“鍬”で耕す(=生殖行為をも意味する)ことは、豊穣(多産)を意味することである。

つまり、鍬太神宮と氷川女体神社の合祀は、セックスにほかならないわけで、この合祀は非常に理に適っているではないか。洒落も効いている。

しかし、この推察は西洋史的な発想なので、明治期の日本でどのような意味合いがあったのかは定かではありませんので、あしからず。

こんなどうでもいいことに思いを馳せているから、なかなか先へ進めないのだ。ま、だから、旅は楽しいのだけれども……。

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