ART of book_文庫随想

『サヨナラ、学校化社会_さよなら、コロナ社会』

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39℃の読書

昨年の2019年の年末、そして2020年の年始、久しぶりの発熱のために、身体の節々の痛み(特に腰)に耐えながら寝込んでおりました。

12月27日に発熱して、ベッドから出る事ができたのが、年を越した1月5日ごろ。年末年始の大掃除に加え、夕食調理担当を一切できなくて、文字通り「使えないヤツ」でありました。

そんな状況でうつらうつらとしつつ、家族が寝静まった夜に急に目が覚めて、夢なのか現実なのか判然としない曖昧な意識で、「現実のほうが悪夢だ」と云うことに気が付き、眠りに就こうとするのだけれども、普段からショートスリーパーの自分にはもはやこれ以上は眠りにつくことができないという……。

高熱のために身体がツライわけだから、意識が覚醒している方が悪夢であることは当然です。でも、もう眠れない。

こんなとき、いつもひたすら読書していたことを思い出しました。

小学生の頃、高熱が誘発したであろう悪夢で目が覚めて、深夜読んだ三島由紀夫の『潮騒』や壺井栄の『二十四の瞳』。当時住んでいたマンションの自分の部屋とベッドがセットで思い出されます。

30代前半、未完箱に建て替える前の家の茶室に隔離され、布団の中で読んだエミール・ゾラの『制作』、そしてソローの『森の生活』。

発熱と読書は、思い出の中で輝いているのです。

そして、50歳を目前にして、久々の発熱のお供となったのが、『サヨナラ、学校化社会』。

50ページほど読んで寝て、起きては50ページほど読んで……を繰り返し、あっという間に読了。

エリートによるエリートのための自虐ネタとも受け取れそうな箇所が多数ありますが、エリートが陥りやすいレトリックに溺れることなく、わかりやすい内容&展開は、微熱どころか高熱のアタマをもってしてもスッと内容が入ってくるのでした。

そこで、どこかでお目掛した著者名だと思っていたら、ちょっと前に東大の入学式での祝辞で話題になったお方でした。納得(実はこの文庫が、初上野千鶴子だったのでした)。

どうして、この文庫があるのかといえば、それはブックオフで100円だったから。近頃は、ブックオフが新たな著者との出会いの場になっております。

で、文庫との出会いは、いつも不思議と自分の人生に寄り添っているのですが、この文庫もそうでした。2019年は、雑誌業界からWEB業界へと転職(編集者という立場は同じなので、自分的には転社という感覚なのですが)したのですが、紙媒体での情報の取り扱いとWEB媒体での情報の取り扱い方&認識に隔たりがあり、少々戸惑っていた時期でもありました。

実際に人と会えなくなることの弊害

これからのグローバル・マーケットで人的資本を問題にするとすれば、情報生産性──べつの言葉では付加価値生産性ともいいますが──の高い人材を生みだすしかありません。付加価値生産性とは、既存のものにそれにないものをつけ加えるという能力のことで、これまであるものを踏襲して再生産するだけでは、付加価値は生まれません。
情報というものは、すでにあるものと違い、既存のものとの「距離」のなかに生まれます。これを「オリジナリティ」と呼びます。私は「いけんがありませんか」というときは、必ず「異見」と書くようにしています。異なる見解というわけです。ご「異見」というのは、その人のオリジナリティのことです。「異見」というのは、あなたと私はここが違う、という距離のことだからです。
オリジナリティとは、現にあるものとその人との距離を指します。したがって、オリジナリティを獲得するためには、現になにがあるかを知ることが大切です。これを別名、教養と言います。だから教養はないよりあったほうがよい。ただし、教養だけがあってもオリジナリティが生まれるとはかぎりません。(P120)

『サヨナラ、学校化社会:上野千鶴子/ちくま文庫』

ここでいう教養の中には、「良識」というものも含まれるでしょう。あと、「バランス感覚」も必要です。基礎学力はいうまでもありません。われわれの職種の場合、「言葉」のセンスの欠落は、実は致命的であったりします。このセンスがないと、それこそ教養がないことが一発でバレてしまうほどです。

私が育てたいのは、どんなにつたないものでもいいから、オリジナルな情報の生産者です。だれのモノでもない、オリジナルなメッセージを提示したときにはじめて情報生産者と呼ばれる。そのためには他人の手をとおったセコハン情報を使っているだけではだめなのです。(P175)

『サヨナラ、学校化社会:上野千鶴子/ちくま文庫』

WEBに溢れている情報は、このセコハン情報そのものの場合がほとんどです。WEBで得た情報をいかに処理化(編集)し、そこにオリジナルのメッセージ(ストーリー)を加えられるか。編集者の力量が試されているのです。

しかし、そのオリジナルのメッセージを加えるという思考作業には、それまでの経験と知見が求められます。もちろんそれはリアリティの世界で培って得たものの場合が多い。つまり現場での取材力が試されるわけです。そう、パソコン画面だけを見ていてはダメだということです

しかし、ひとつだいじなことは、どんなアイデアもモノローグの世界からは絶対に拡がらない、対話のなかからしかアイデアは育たないということです。自分のアイデアを聞いてくれる質の高い聴衆をもつということは、仕事をする人や研究者には──ほんとうはどんな仕事をする人にとっても、ぜったいに不可欠なことです。(P186)

『サヨナラ、学校化社会:上野千鶴子/ちくま文庫』

2020年をひとことで表すとすれば、コロナ禍に尽きるでしょう。外出自粛で人と会うことが圧倒的に減ってしまったため、対話することも極端になくなってしまいました。

自分を振り返ってみると、これまで仕事で一緒に雑誌を作っていた人たちと、常にアイデアのブレストを行なっていました。「それ面白いね」とか「もっとこうしたら?」というアドバイスをもらうことで、新しいことにチャレンジしていたことを思い出しました。

しかし、2020年はこうした対話をほとんできずじまいでした。だからか、アイデアは以前同様溢れてきても、そのほとんどが現実化することはありませんでした。

なんだか2020年に大切だと気がつくことを、あらかじめ予見するような内容ばかりの文庫だったことを、1年後の2021年元旦に思い出したのでした。

WEB会議やチャットで人とのコミュニケーションは取れます。でも、やっぱり人と実際に会うこと、自分の眼で見て、手で確認することも大切であることを再確認した一冊。

『サヨナラ、学校化社会:上野千鶴子/ちくま文庫』

どこいっても学校っぽいのは、そもそも東大がキャリア官僚養成所だから。

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