ART of work_編集者の憂鬱

年賀状やインスタでバレちゃう美意識

不思議と可愛がられた20代

話は25年ほど前に遡ります。

映像をやっている時は、いろんな監督、演出家のもとで仕事をさせてもらったことが、現在の宝になっています。東大を出て助監督として映画会社に就職したという昭和映画界のメインストリームを歩んだ監督や、当時、大学生が論文の対象とするようなドキュメンタリー映画の監督(つまり相当お年を召されていた)、テレビなどの番組の演出家……、そうした人たちと密に仕事できたのは、いま思うと楽しい時代だったなぁ、と。

やっぱり、若い頃はいろんな人とお仕事ご一緒させて、そこから刺激を受けることが本当に大切。そしてなぜか、生意気な私でしたがみなさんに可愛がられたです。ご自宅に夕食に招かれたり、奥様を紹介して頂いたり……。

そうした人たちのひとりに、ある女性の演出家さんがいたのですが、こちらは大学出たばかりの若造なんで、最初の現場では私に期待していない雰囲気がビシビシと伝わってきました。

男性の監督や怖ーいスタッフ(しかも年配)には、不思議と気に入られるのですが、それが女性となると確率が1/2になるのです。そして、その女性演出家さんは、半分の確率のNGの部類に入っていたのです。

なのですが、冬休み明けから私への信頼度がグッとアップしたのです。スタジオでの編集の際に、テロップの書体や色など、何がいいか意見を求められるようになり、撮影の現場でもなにかと頼りにされるようになりました。

プライベートだからこそ、美意識が漏れちゃう

その理由は、私がその女性演出家に送った年賀状にありました。

当時、写真などは使わずに年賀状を自作していたのですが(プリントゴッコで)、そのデザインと色遣いを気に入ってもらえたのでした。当時は紙質(テクスチュア)にもこだわっていて、和紙を使ったりといろいろ試して楽しんでいました。ざっくり解説すると、「この若造、私の美意識と合うな」と、女性演出家から認められたというわけです。

結婚して子供ができてからは、「子供の写真を使うべし」という家人の強い圧力により、年賀状は息子たちの写真を使ってお茶を濁しておりました(ここ数年、それすらやってません)。

美意識というものは、服装や持ち物である程度までは想像がつきます。しかし、その人からアウトプットされる(つまり表現されるもの)までは、意外とわかりづらいものです。

身なりはむさ苦しいのに、とても繊細な文章を書く小説家がいると思えば、パリッとした身のこなしなのに、なあんだ、という作品の作家の人います。

年賀状のようなものって、あまりにプライベートすぎるために、実はものすごくその人の美意識が出ているものだったりするのです。そして、現代ではそれはSNSだったりします。

そう考えると、InstagramとかFacebookって、なかなか大変なものなんだなぁ、とも思えるわけです。それ故、SNSで写真をアップすることを止めてしまったカメラマンも知っています。理由は、プロなので、下手な写真を上げてそれで判断されると困るから、というものでした。

さて、どうしてこんなことを考えてしまったのかというと、最近、気心の知れた人たちと再びお仕事をさせていただいたからでした。

50代なりの仕事

20代の頃、いろんなスタッフと仕事するのが楽しくて、カメラマンやデザイナーなど、特に固定して仕事してはいませんでした。

しかし40代になると、カメラマンやデザイナーなど、仕事をお願いする人が内容によって固定するようになってきました。私の求めるものを、詳しく説明しなくとも阿吽でわかってくれる人、さらには美意識が同じか似ている、美意識のベクトルが同じ方向に向かっている人たちです。

「西山さんの世界観、こうでしょ?」と、語らずともわかってくれるスタッフ。だから、仕上がったときに、一緒に同じ達成感を共有できるのです。

年配の監督に、「もう歳だからあと何本作品を撮れるか分からないけれど、おそらく西山くんが私の最後の助監督だなぁ」と言われたのを思い出しました。美意識を共有できる気心の知れたスタッフと一緒に仕事できるのって、恵まれた環境であることは間違いありません。

自分も今年、ついに50代に突入します。いままで当たり前だと思って一緒に仕事していた人たちとも、大切に、ひとつひとつ、素晴らしいものに仕上げようと思うのでありました。

ここ数年、喪中が重なって、年賀状を出す習慣も途絶えてしまいましたが、来年からはきちんと出さないとなぁ、と思ったのでした。

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