BMW i8で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2015年11月26日〜29日の3泊4日をかけたドライブの様子を宿場ごとにレポートしています。
day 2 07:21
2015.11.27
東名高速をくぐったり渡ったり
東海道旧道には、いくつもの渡しがあります。
橋のない川を渡るのは、江戸時代には大変なことだったのです。
しかし、現在は富士川にも橋が架けられており、あっという間に対岸へ。
橋を渡りきった「富士川橋西」で右折、そしてすぐに左折して、狭い道を上っていきます。
ブロック塀に「魚善」という文字が書かれているところが目印。きっといけるはず、という強い信念のもと細い小径を上っていき、突き当たりを左。
なんとかクルマがすれ違えるだけの道に出てホッとします。道幅の狭い上り坂は、到底クルマがすれ違いできないほどでしたが、実は一方通行だったので対向車が来る恐れはなかったのでした。
いわゆる尾根の道というのでしょうか、沿道に住宅が並ぶ中央分離線などない生活道路をひたすら進みます。途中、東名高速道路をくぐり、そして今度は同じ東名高速を橋で渡ると、長い下り坂となります。この間、アップダウンと鋭角なコーナーが何カ所かあるルートですが、道幅は狭いとはいえ、普通に通行できる区間です。
長い坂を下りきったところが、蒲原の浮世絵ポイントです。浮世絵では雪が深く積もっているのですが、太平洋側のこの一帯に降雪があったのだろうか……(あったのです)。
さて、浮世絵ポイントあたりT字路を右折して進みます。
アルミニウムをつくる工場と古い町並み
旧東海道は、県道396号線(富士由比線)に並行しています。宿場近くの旧街道でよくあるパターンです。その距離50mちょっと。当然、県道396号線はクルマが通ることを前提に作られているのですから、片側1車線の道路。旧東海道は、ようやくすれ違えるほどの道幅です。ただし、砂舗装してあり、宿場感の演出もなされています。
蒲原宿に到着する前に、川が流れていないコンクリートの欄干の橋を渡るのですが、実はここがちょっと圧巻です。山の上から4本のパイプがズドーンと通っているのです。
太平洋ベルト地帯とは小学校の頃に習ったものですが、ちょうど県道396号線を境にして海側には、日本軽金属の工場があります。
軽金属にはアルミニウムも含まれます。海外から輸入したボーキサイトからアルミニウムに精錬する際に、多くの電力が必要となることも小学校の頃に習いました(中学校だったかな……)。そう、この4本のパイプは水力発電用の鉄管路なのです。
そしてアルミニウムと云えば、BMW i8には、ドライブモジュール呼ばれるアルミニウム製シャシーに、カーボンファイバーのパッセンジャーセルが乗っかるようにして組み合わされていたのでした。
蒲原宿のすぐ隣には、弥次喜多の世界とはほど遠い、アルミニウムを生産する工場というギャップ。
旧東海道は、蒲原宿本陣跡付近になると道幅も広くなり、2車線となります。旧街道は、宿場の本陣、つまり中心になるほど道幅が広くなり、端になると細くなっています。往来が多いところは広くなっているわけです。
蒲原宿は、いろんな年代の住宅が沿道に並んでいて、それはそれで面白い景観です。ただし、クルマで通ると、まったく見所もないままに通り過ぎてしまうでしょう。格子の残る建物は点在していて、くるまの走る速度だと見落としてしまうのです。
比較的道幅の広い志田邸の前にBMW i8を停めて撮影。ちょうど、小学生が登校する時間でした。近未来的なデザインのBMW i8とのギャップがなんともたまらない蒲原宿なのでした。
注:〈 〉内は交差点名を表します。
蒲原
Kanbara
蒲原宿も江戸時代初期に起きた津波によって壊滅しているのだが、東海道としては珍しく再建後の当時の宿場の当面影を忍ぶことができる。歌川広重がこの地で描いた蒲原夜之雪の絵は名作の誉れ高く、記念切手にもなっている。
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▼折りたたみミニベロ、BD-1での東海道五十三次旧道の旅もあります