クルマの月刊誌編集長をしているときに、一番苦労したのは、理系技術者へのインタビューです。
なぜなら私は完全文系、しかも飯も食えない文学部美術系出身。
高校の頃に覚えていた光合成の化学式も、解の公式もとっくの昔に忘れてしまいました。
物理で習った9.8gtって、なんだっけ? という具合です。
技術者へのインタビューって、深い知識というか、そもそもの素地がないとまったく歯が立ちません。
こちらが無学であること、相手にはすぐにわかってしまいます。
それは、逆のこともあります。
たとえば、唐突にクルマの雑誌に美術関連の話が出てきたときなど、
あー、この画家のことをこんな風に書いちゃうなんて、まったく素人だなー、みたいな。
この画家をこんなに持ち上げちゃったら、雑誌の審美眼が疑われちゃうのにな、といった具合です。
そんなわけで、クルマのデザイナーのインタビューは、少し心がほっとします。
いまは別の業界に行ってしまわれた広報だった方に「バウハウスとか、いろんな話をしてくれたのでデザイナーのNも喜んでました!」と、後日知らせを受けたこともあります。
デザイナーにインタビューするとき、影響を受けた芸術家を必ず訊ねるようにしています。
それさえ分かれば、デザイナーの趣向性が分かるので、見当違いの質問をしなくて済むようになります。
価値観の共有があらかじめできている場合が多いので、何を尋ねればいいのか、掴みやすいのです。
デジタルでカッコイイが基準になる
少し前にインタビューしたことで、ちょっと不安になることがありました。
それは、デザインする際に、スケッチとCADだけで済ますというデザイナーが増えてきていることです。
たしかに、そのデザイナーがデザインしたスーパーカーは、実車を撮影しても、仕上がった写真を見るとどこかCGっぽいのです。
デジタルとアナログの違い、そこにこだわるのがデザイナーだと思っていました。
パソコンで線を引いても、所詮はデジタルの0と1。
手で触れて、そのテクスチャーやボリュームを感じないままに実現化されたクルマ。
(余談ですが、マーケティングからの観点だと、ゲームでカッコイイという価値基準を育んだ世代には、実車がCGみたいなクルマの方が、よりカッコよく売れるということなのかもしれません。)
たくさんの人に会い、実地で感じた空気感、そして体験から出た企画。
外に出ないで編集部でパソコンに向かって作った企画。
まさにその違いと同じです。
悔しいことですが、後者の場合の方が、見栄えのよい企画書だったりして、会議でウケがよろしい場合が多かったりします。
会議を通すための企画書に情熱を注ぐ時間がたっぷりあるわけですから。
しかし、会議を通すために作成する企画書にどれだけ時間を割いても、売れる(ウケル)企画は生まれてきません。
実地での肌感覚がなく、会議で通過しそうな実のない言葉の羅列なのですから。
スケッチなんかあまりしないな。とくにプレゼンテーションのための絵なんていうのは、絶対に描いちゃいけないっていう信念があるからね(笑)。そんなインチキできない。
いまのデザインの考え方は、アメリカの影響だな。つまりコマーシャルデザインだよね。ロサンジェルスにアートセンタースクールっていうのがあるでしょ。僕、戦後に訪問したことがあるんだよ。だけどね、アメリカの自動車のデザインを見て、こりゃひどいことになっているなあって思った。彼らはスタイリングを追求して、机の上でレンダリングばかり描いてた。
でもそんなものからいいデザインなんて、絶対に出てこないからね。
これは、柳宗理さんのインタビューから(これを読みたいばかりに、この文庫を買ったようなものです)。
最近のクルマのデザインには、本当にガッカリするものばかりです。
しかし、それも頷けるというものです。
雑誌がツマラナイと云われて久しいですが、それは構造的な問題。そして雑誌は今後、さらにツマラナクなっていくことがよく分かる一冊。
『自分の仕事をつくる』西村佳哲/ちくま文庫