ART of book_文庫随想

『良心をもたない人たち_本気で愛する人がいますか?』

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友に売られた日

小学4年生の頃の出来事です。放課後によく一緒に遊んでいたクラスメートとふたり、校長室に呼び出されました。当時はまだ珍しかった女性の校長先生のデスクの前にクラスメートと出頭させられたのです。

校長先生は、数日前の放課後のことを尋ねました。その日はA君の家に集まって、数人で遊んだのです。実はその日、出入りを禁止されていたゲームセンターで遊んでいたのです。当時はゲームセンターは不良の集まるところで、小学生が出入りするなんてもってのほか。ゲームはインベーダーゲーム全盛の頃の話です。
この日の行い、つまりゲーセンで遊んでいたことがバレてしまったんだと思い、正直に白状しました。バレてしまっている以上、へんな言い訳は事態を悪化させます。こうした潔さだけは、当時から持ち合わせていたのでした。
さて、そのあとの校長先生の対応は、私が予想していたのとは、まったく違っていました。こっ酷く叱られるものとばかり思っていたのに、意外なほどあっさりと釈放されたのです。
校長室を出るときに、「これは、なにか別の大変なことのために呼び出されたのかもしれない」と子供ながらに感じました。
その大変なこととは、数日後に判明しました。問題とされた日に校則違反をして遊んだクラスメートは、もうひとりいたのです。どうしてあいつだけが呼び出されないんだろう? と思っていました。実はそのクラスメートであるA君が、母親の財布から紙幣を失敬していたのです。それがバレてしまい、苦し紛れに一緒に遊んだわれわれから命令されて盗んだということになっていたのでした。

校長先生は、われわれがA君に金を持ってこいと命令したのではないということがすぐに分かったようでした。いまさらながら、実によい校長先生だったと、当時の対応に感謝です。

無邪気な私は、その後もそのわれわれを悪人に仕立てようとしたクラスメートと、変わりなく遊んだのですが、大人になった今なら、もう少し彼との付き合いを用心したかもしれません。子供ながらに、「叱られるのが怖くて、とっさに嘘をついてしまったんだろう」ぐらいに考えていましたが、条件反射的に嘘が口から出る人間は、子どもだろうが大人だろうが、変わらないことを知ったからです。すぐにバレる嘘で糊塗する大人って、信じられないくらい世の中に多いのです。そして、それはもうただの嘘つきというのではなく、病理であるということも大人になると学習します。

“(前略)そのなかで最もよく目につく特徴の一つが、口の達者さと表面的な魅力である。サイコパスは、それでほかの人びとの目をくもらせる──一種のオーラとかカリスマ性を放つのだ。そのため彼らは、最初のうちは、まわりにいる人びとよりずっと魅力的でおもしろい人間に見える。ほかのだれよりも気さく、真剣、“複雑”、セクシー、楽しい、といった印象を与える。
この「サイコパスのいカリスマ性」は、オーバーぎみの自尊心をともなうこともあり、最初のうちは相手をおそれ入らせるが、よく知るにつれて、人はうさん臭さを感じたり、失笑したりするようになる。(中略)共通して病的に嘘をつき、人をだます。
(中略)いかなる問題にたいしても責任を感じない点は共通している。”
(P16)

父親の仕事の関係上、転勤族だったわが家は、幼い頃から引っ越しも多く、いわゆる常に転入生でした。転入したクラスで最終的に友と呼べ、後々までお付き合いのある人は、最初に話しかけてきた人でもなく、気さくで世話を焼いてくれた人でもなく、どちらかといえば遠巻きにいた人。そしてちょっと取っつきにくいなぁと感じていた人。ペラペラと弁の立つ人は、人間的に空虚であることが多いというのが経験上得た知識です。なんとなくそうだろうなと思っていたのですが、これまで出会ったそうした人たちは、サイコパスの萌芽を持っていたのかもしれません。

人を愛せない人もいるんです

さて、サイコパスが多い職業というものがあるらしいのですが、実は「ジャーナリスト」もそうらしいのです。営業職や弁護士、そしてCEOに多いのは納得です。口が上手い、面の皮が厚い……というのは、サイコパスの特徴らしいのです。雑誌編集に限らず、マスコミ業界には多いのではないかと常々感じていました。ジャーナリストではなく、ジャーナリスト風を吹かせ、場違いな正義感を振りかざすマスコミ関係者も、あてはまるかもしれません。

しかし、自分もそんな業界にいるので、ひょっとして私もその気があるかもしれないと心配になってしまいました。そこでサイコパスの可能性が低い職業というものを調べると、クリエイティブ・アーティストというのが入ってました。同じ雑誌編集でも自分はジャーナリスト寄りではなくクリエイター寄り。自分の世界観を誌面に落とし込んで表現することに醍醐味を感じるタイプです。そう考えるとしたら、ちょっとひと安心。でも、それは自分を肯定するための方便である可能性も高いのです。

“良心とはほかの人たちへの感情的愛着にもとづく義務感である。ではここで、この心理的方程式を裏返してみよう。人は良心がないとけっして本気で愛することはできない。そして義務という命令的感覚から愛を差し引くと、残るのは薄っぺらな第三のもの──愛とはまったくべつの所有欲だ。”(P256)

なるほど。これならば自分はサイコパスの気が限りなく低いということが裏付けられました。ここで本当にひと安心。(ちなみに、サイコパスには良心が欠落しているというのが、著者の主張です)

「あの人、サイコパスっぽいよなー」と常々思っていた疑問を解こうと思って読んでいたら、自分がそうかもしれない、と本気で心配になった一冊。
もしサイコパスだったら、自分がそうかもしれないと仮定することは、まずないようですけど。

『良心をもたない人たち:マーサ・スタウト、木村博江訳/草思社庫』

表紙の女性、怖い……。
絶妙のトリミングと口元で、恐ろしさがにじみ出ています。

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