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旅するBD-1、東海道五十三次を行く◎35_御油

BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。

DAY 4 8:56_御油宿

2018.3.26

現代の東海道旧道は川ではなく道に阻まれる

3泊目は無事に豊橋駅前のビジネスホテルに宿を取ることができました。
熱いお風呂に浸かることもできたし、ひげも剃ることもできたし、なによりベッドでぐっすり睡眠できたことでかなり体力が恢復できました。

いつかキャンプ泊しながらBD-1で旅したいと思っているのですが、やはりこうした点で二の足を踏んでしまうのです。
それに、GoProとiPhoneに電力を供給するバッテリーの充電も考えると、テント泊だとかなり心細いということもあります。

朝焼けの空を眺めながら豊川橋を渡ります。本日は峠もなく気分的に楽なスタート。

今回は東海道五十三次の旅ですから、テント泊(野宿)ではなく、やはりビジネスホテル(旅籠屋)を利用するのが筋というものでしょう。2泊目で利用したネットカフェは木賃宿、というところでしょうか。

ホテルで軽く朝食も済ませ、まずは昨日の夕暮れ時に遠くに眺めただけの豊川橋を目指します。豊川橋を渡ったら、左折、ひたすら道なりにまっすぐな道となります。

これは徒歩でも横断不可能な模様です。

単調な道を7kmほど進むと、県道31号線のオーバーパスをくぐる、と思いきや直進できません。東海道五十三次の地図アプリでは直進となってますが、これは徒歩でも無理。一番近い国道1号線と県道31号線が交差する〈京次西〉まで迂回して、信号に従って対岸へ。

江戸時代では、東海道のルート上にある大きな川(酒匂川、興津川、安倍川、大井川)には橋が設けられませんでした。それは幕府が各藩から軍事的な優位性を保つためでしたが、旅人にとっては非常に不便な難所でした。

現在、自転車(徒歩)での東海道旧道での難所といえば、川ではなくこうした道路や線路、クルマではこれに一方通行路が加わります。

コンビニは江戸時代でいうところの茶屋的存在です。

無事に対岸に渡りきったところに、タイミングよくコンビニがあったので、そこでトイレ休憩。

そのまま国道1号線沿いに走ってもよいのですが、ここは先程渡れなかったポイントまで一旦戻って、200mちょっとしかない旧道を走り、国道1号線に合流です。

行動1号線にサヨナラして、左の旧道へ。

退屈な国道1号線を900mほど走って、東海道旧道は国府交番の場所で左の裏道へと枝分かれします。この日はじめて東海道らしい道となります。

現代なら留女は違法な客引きです

常夜灯が一般住宅に挟まれてひっそりと。

しばらく行くと、県道368号線とクロス。左手に住宅に挟まれるようにして常夜灯が建っています。ここが御油追分。姫街道との分かれ道です。

日曜の朝、土手の桜を独り占めです。

さらに進むと、音羽川に架かる御油橋に出ます。この川の土手沿いの桜がまさに見頃。日曜日の朝ということもあってか、クルマの通りも少なく、しばしお花見です。

桜を愛でながら御油橋を渡ります。

そして御油橋を渡ると、御油宿の江戸方、すぐ先が浮世絵ポイントです。

むかしの宿場の面影はほとんど残っていません。

かつての道幅なのでしょう、クルマで通るには狭く、定規で引いたような直線ではないところが旧道らしい道です。沿道の殆どが建て替えられています。

浮世絵では、留女が旅人を強引に宿へと連れ込もうとしている姿が描かれています。現代に例えるなら、繁華街でのキャバクラや風俗の客引きいったところでしょうか。条例により路上での客引きが禁止されているところが増えましたが、広い目で見ると、路上での強引な客引きは文化なのかもしれません。

東海道中膝栗毛でも、弥次郎兵衛と北八の留女とのやりとりのシーンが頻繁に登場します。で、やはり器量良しの留女の方が仕事の成功率は高かったようです。

宿場の中ほどにある広場前に掲げられた浮世絵の案内板は、かなり傷んでおりました。

浮世絵でも道路の真ん中で、嫌がる男性を強引に引っ張っている2人の留女は醜女として描かれています。一方の頬杖をついてその様子を見ている留女は、二人に比べると器量よし、もちろんすでに客を確保しています。しかも身なりからしてお金を持っていそうな客です。留女=飯盛女のケースも多く、宿場の風景としてではなく、人間模様として見ると、なんだか切ない浮世絵です。

1970年代の松並木だっていいじゃない

気を取り直して御油の松並木へ。

ちょっと細身の松が多い気がしましたが、それには理由がありました。

どうしてこの地に松並木が残っていたのかというと、1944年に国の天然記念物に指定されたから。そのため、戦時中でも供出されずに済んだというわけです。

とはいえ、江戸時代からの松としては小振りなものが多いのですが、それは1970年代に補植した松がほとんどだから。道路幅が狭くクルマで通るには厳しい道ですが、自転車や徒歩にはなんとも気持ちの良い松並木なのです。

こうして地元の人達の努力で古の姿を後世に伝えることは、非常に価値のある営為だと思うのです。

注:〈  〉内は交差点名を表します。


●GoProからの1枚

松にだって寿命はあります。こうして補植して松並木を維持する方たちの努力があってこそ、現代の旅人は東海道を満喫できるのです。

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