ART of cycling_二輪書

旅するBD-1、東海道五十三次を行く◎42_桑名

BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。

DAY 4 17:38_桑名宿

2018.3.26

伊勢国の入り口に到着

スーパー堤防の整備工事が行われたためか、広々した川沿いの道。

国道1号線で揖斐川を渡って、夕暮れの川沿いを1kmほど走ると、桑名宿の浮世絵ポイントに出ます。

川沿いの道からこの細い路を抜けて、ようやく東海道旧道に復帰。

宮宿から桑名宿までの海路の距離がおよそ七里(約28km)あったので、七里の渡しと呼ばれていました。

舟でどれくらいの時間がかかったのか知りませんが、弥次郎兵衛がその間にトイレに行きたくなったときのことを心配するくらいですから、それなりに時間はかかったのでしょう。

蟠龍櫓と一の鳥居を望む。

自分の場合、ルートミスした上に、途中のコンビニでエネルギーを補給したりしたので、宮の七里の渡跡から桑名の七里の渡跡まで、3時間弱かかってしまいました。

このあたりが浮世絵ポイント。

七里の渡跡周辺は綺麗に整備されていて、鳥居も見事。

この鳥居は、伊勢神宮遙拝用の一の鳥居。ついに伊勢国に入ったということです。

夕暮れと満開の桜が美しいので、つい記念撮影。

浮世絵には、海に突き出すようにして蟠龍櫓が描かれているので、ついでにこちらの蟠龍櫓前でもパチリ。もちろん現在の蟠龍櫓は平成15年に復元されたもの。

復元と言っても水門管理所となっているようで、水門管理所を蟠龍櫓風にアレンジしたという方が適切でしょう。

ちなみに「蟠龍」とは、龍が天に昇る前のうずくまった瞬間の状態を意味します。スタート直前、短距離ランナーのセットした瞬間といえばわかりやすいでしょう。

だいぶ日も暮れてきました。果たしてどこに宿泊するか……。

白壁が夕日でオレンジ色に染まる蟠龍櫓を見ていて、ラストスパートする気力が溢れてきました。夕暮れが迫ってくると、なぜかパワーが漲ってくるのです。

早々に七里の渡跡を後にして、再スタート。

桑名で京都三条大橋を渡る

砂舗装と石畳が組み合わされた桑名宿の路面。

桑名宿の旧東海道の路面は、砂舗装と矩形の石板が組み合わされていて、見た目もきれい。走るのも心なし楽しい……、なんて思っていたら、変速の際にチェーンが落ちてしまいました。うーん、これは疲れている証拠。

チェーンをかけ直したまさにその左手が、かつての桑名城の堀で、現在公園になっていました。その名も「歴史を語る公園」(と書いてありました)。

歴史を語る公園。徒歩でここまで来た人なら、ちょっと感慨深いかも。

東海道では、こうした「東海道五十三次ミニチュア」にポツポツ出くわすことがあります。大抵は歌川広重の浮世を順番に並べていたりするものですが、桑名のはちょっと違います。

日本橋から三条大橋までの東海道を、木や石などで模しているのです。明確に各宿場を表現していませんが、もちろんラストには小さな三条大橋があります。

三条大橋のミニチュアを渡って、明日のゴールをイメトレ。

そういえば、熊本の水前寺公園の桃山式回遊庭園は、東海道五十三次の景勝地を再現していたはずですが、東海道にゆかりのない九州でもモチーフにされるくらいですから、当時からどれだけ東海道がメジャーな存在だったかが伺えます。

三丁目の夕日の雰囲気残る町並み

そういえば、もう時間も遅かったので、桑名では観光客相手のお店も閉まっており、それこそ焼蛤なんて食べる機会には恵まれませんでした。

実は東海道五十三次でもっとも宿数があったのが宮宿。そして2番めがこの桑名宿だったそう。

七里の渡跡から桑名宿の京方まではおよそ2.7kmもあります。

曲がり角には東海道の道標があります。
昭和のおもちゃ屋さん、いもや本店の角を右へ。
桑名宿の京方はこのT字路まで。右手に火の見梯子が立っています。

鍛冶町あたりでコの字に迂回する場所もありますが、そうした場所にはきちんと道標が立てられているのでルートをロスすることはなさそうです。

横断歩道にも標柱があるのは、旅人にはとても親切なはからい。

員弁川までの道のりは、東海道を偲ばせるというよりは、昭和な雰囲気を残した町並みが続きます。夕日のなかを走っているから、さらにそんな気分だったのかもしれません。

なんとなく昭和。夕暮れ時だから特にそう感じちゃったのかも。

注:〈  〉内は交差点名を表します。


●GoProからの1枚

夕暮れ時、石畳が夕日に照らされて美しい瞬間です。

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