BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。
DAY 4 21:43_庄野宿
2018.3.26
宿場のほうが真っ暗な現在
真っ暗な道から再び国道1号線に合流。街路灯の明かりを頼りに、サドルバックから登山用ヘッドライトを取り出し、来たるべき夜道に備えます。というか、むしろ遅かったくらい。
ヘッドライトを首に提げ、いつでも手元を照らせる準備をして再スタートです。
石薬師宿から庄野宿まではあっという間。
国道1号線へは側道から右車線に出ます。信号もなく左車線へ渡れそうもないのでそのまま右車線の歩道を進みます。
1km少し進んだところにある〈庄野町北〉を右へ。右折するとすぐに〈庄野町西〉が見えてきます。そしてここが庄野宿の江戸方。
庄野宿の浮世絵ポイントは定かではないので、とにかくここで撮影です。
なにもないから、いい絵ができるのかも
庄野宿はほかの宿場と比べて600mほどしかありません。クルマだとすれ違うのにも苦労しそうなほどの道幅。きっと往時と変わらぬ道幅でしょう。
明るい時間帯ならば、その寂れた道は風情があるのですが、いかんせん距離が短く、昔ながらの建物も点在しているのでBMW i8で撮影した際に苦労したものでした。
そして庄野宿の入り口から見た宿場は、ところどころに街路灯があるものの、漆黒の闇に包まれています。
つまり、これが何を意味しているかというと、写真映えしないということです。
東海道五十三次の浮世絵も、その宿場に特徴的な風景・建造物・店、そしてイベントなどがあれば、題材として取り上げやすいでしょう。しかもすぐにその場所がどこの宿場を表しているかわかります。
きっと庄野宿は当時からそうした際立った何かがなかったのでしょう。
しかし、だからこそ歌川広重の『白雨』は、傑作になり得たのかもしれません。
際立った題材がない、ならば作り出すしかありません。
いかに庄野宿が魅力的か、浮世絵で表現するしかないのです。
否、にわか雨という題材ですから、旅人にとっては好ましくはありません。ぜひとも訪れたいと思う題材ではないことは明らかです。
ひょっとしたら、可もなく不可もないありきたりの宿場だからこそ、作家は縛られることなく自由に表現できたのかもしれません。
宿場として大きかったわけでもなく、どちらかといえば地味な庄野宿の浮世絵が、広重の最高傑作のひとつに数えられるのは、こうした理由があったのです(というあくまでも試論)。
つまり、写真映えしない場所、時間帯ではありますが、ここは歌川広重のように傑作の写真が撮れるかもしれません……という期待もありましたが、それは私に才能があればの話。
庄野宿を過ぎて安楽川を渡り、淋しい道を進むと、関西本線の踏切に出ました。あたりの景色が漆黒に包まれているので、踏切がやけに心にしみます。
いわゆる利休の一輪の朝顔効果です(ちょっと意味は違いますが)。
ここまでくると、日付が変わる前に亀山のホテルにチェックインできそうな算段もついてきました。交通量も少なく、真夜中のポタリングもそれなりに楽しいものです。
注:〈 〉内は交差点名を表します。
●GoProからの1枚
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