BD-1で走破した、東海道五十三次の旅の記録。2018年3月23日〜28日の4泊5日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。
DAY 5 15:41_草津宿
2018.3.27
記憶と違う東海道旧道
東海道旧道か、時代の流れとともに変化していたことを体で感じたBD-1での旅でしたが、それを現在進行形で感じたのが草津宿です。
東海道旧道と国道1号線がクロスするポイントが、まさに変わりつつある最中でした。2015年のBMW i8で旅したときのルートとは、まったく景色が変わっていたのです。
そもそも、2015年のときから、分かりづらい道だと思っていたのです。しかしそのときは川沿いの道を進んでいた記憶がありました。いちどスロープを登った記憶があります。なのですが、そのスロープを登っていくと、道がバッサリと断ち切られていたのです。
2015年当時も工事をしていた記憶はあるのですが、記憶とはまったく違う風景に、ミスルートしてしまったのだろうかと、しばし呆然。仕方なく登ったスロープを下って、〈大路三丁目〉で国道1号線を渡り、東海道旧道に復帰するという選択を取りました。
川の土手沿いを走った記憶があったのですが、川らしきものもないのです。一度見た景色や道はだいたい覚えている性質なので、ここはどこ? とちょっと心配になったほどです。
帰宅後に調べてみると、やはりかつて草津川が流れておりました。2002年に廃川となって、草津川跡地は公園などに整備されている途中だったのです。2015年に廃川の土手をBMW i8で走っていたのでした。桜並木のある土手沿いを走ったという記憶は間違っていませんでした。
東海道旧道を徒歩で旅する人の中には、一度ならず何度も旅している人がいるそうです。私は別の知らない道を走ってみたいと思うタイプなので、その理由に共感できませんでしたが、こうした道が変化するのを見届ける、前回と変わったポイントを見つける……という楽しみ方があるのだろうなぁ、と気がついたのです。
電動ママチャリの主婦に追い越される
草津宿の追分道標で直角に左へ折れます。その先はいかにも東海道旧道らしい宿場町の姿が続いています。
砂舗装の宿場を抜けて、現在の草津川を渡り300mほど行くと、浮世絵ポイントです。現在は瓢泉堂という瓢箪を販売しているお店になっています。
その先で東海道旧道は、またしても国道1号線に分断されてしまいます。東海道旧道は、上北池公園を抜けなければなりません。この公園、公園と名ばかりで、東海道旧道のルートを守るために作られたようなものです。徒歩での旅人の休憩にちょうどよい東屋と水道があり、子どもが遊ぶような公園ではありません。
草津宿から三条大橋までは、手元のガイドブックによると30km弱。普通に走れば3時間あれば十分に到達できる距離。しかし、すでに夕方近く。朝からペダルを漕ぎ続けていてかなり体力も落ちてきていました。
と、子どもを後ろに乗せた電動ママチャリに追い越されてしまいました。悔しいけれど、追いつけません。ペースを上げましたが、どんどん距離が話されていきます。が、その先の信号機で追いつきました。
電動ママチャリの隣に並ぶと、私の姿を見たその電動ママチャリの女性が、「どちらまで?」と私に声をかけてきたのです。他人からは、ヘルメットを被ったいかにも旅人風のチャリダー姿でしょうし、草津あたりでは東海道旧道を走っているサイクリストを何人も見かけたので、社交辞令だったのかもしれません。
「三条大橋まで」と答えると、その女性は明らかに興味津々という風に「そりゃ遠いなー、どこから来はったん?」とさらに質問をしてきたのです。日本橋を出立して5日目で、今日中に三条大橋まで走って、京都駅から新幹線で新横浜まで変える予定です……と、今回の旅のプランを話すと、「えー! この自転車で? 私も子どもを生む前に、京都から日本橋まで自転車で走ったことあるけど、最初は9日かかったかなー。2度目は日本橋から京都までの逆ルートで7日間。この自転車で5日間はすごいわー」と。
信号待ちのわずかな時間での会話でしたが、徒歩でなく自転車でも東海道を何度も走る人がいるんだなぁ、と。
「気ぃーつけてー」と挨拶され、横断歩道を渡った先で分かれました。なるほど、私が追いつけない理由は、電動である前に、彼女がそもそも健脚だったということでした。
注:〈 〉内は交差点名を表します。
●GoProからの1枚
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