ART of cycling_二輪書

旅するBD-1、中山道六十九次を行く◎02_蕨

BD-1で走破した、中山道六十九次の旅の記録。2019年4月25日〜30日の5泊6日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。

DAY 1 9:31_蕨

2019.4.25

戸田橋を渡って、埼玉県上陸!

旧中山道が国道17号線となり、1km少し走ると、「志村の一里塚」が見えてきます。クルマだと気が付かなかったのですが、確かに横断歩道を挟んで、榎が対になっている。3代目となる塚木とのことで、一里塚がきちんと対になって残っていることに驚き。しかも都内に。東海道でも、塚木が対になって残っているのは、それほど数が多くなかったのです。

国道17号線の両側に榎が対になっているのがわかる

この志村の一里塚を越えると、〈志村坂上〉で左の小道へ逸れる。清水坂という、日本橋スタート後の最初の難所……なのだけれど、下り坂であったため、あっという間に清水坂を通り過ぎてしまいました、ありがたみもなにもなく。

東海道の吉原には、唯一の「左富士」があるのだけれど、この清水坂には、中山道で唯一の「右富士」があるという。なんとも歯切れの悪い表現であるのは、自分の目で確かめていないから。確かに、大きくカーブする下り坂の途中で見ることができたかもしれないけれど、あいにくの雲と、すぐに坂を下ってしまったため、富士山どころではなかったのです。

旧中山道は、都営三田線のガードをくぐって、また17号線に戻る。〈志村坂下〉まで来て、大学生の頃に教習車で走っていた場所であることに気がつきました。高島通りをぎこちなく教習車で走ったことを思い出されます。中山道にはまったく縁がない人生だと思っていたけれど、中山道がぐっと身近な存在に。板橋宿での埼京線といい、実は中山道って、自分の人生と意外とクロスしていたんじゃないかと。

28年も前の朧気な記憶をたぐりよせ、懐かしく感じたので後で調べてみたら、すでに通っていた自動車学校はなくなっていました。時というものは、容赦なく過ぎ去っていくものなのです。

さて、旅は続く(というか、まだ始まったばかり)。新河岸川を渡って、荒川を渡るために戸田橋へ。本来ならまっすぐ戸田橋を渡りたいところだけれど、歩道もなく、自動車専用道路の体になったので、側道から戸田橋へとアプローチすることに。そのついでに「中山道戸田の渡しの碑」にちょっと寄り道。木曽街道浮世絵ポイントが、「戸田川渡場」なので、この渡しの碑あたりを蕨宿の浮世絵ポイントとしてよいのでしょうが、渡しの碑とBD-1を一緒にフレームに収めると荒川が入らないため、戸田橋で撮影することにしました。

◎浮世絵ポイント_戸田川渡場

かつては渡し船で渡っていた川を橋で渡る

戸田橋の橋名板で写真を撮って、中山道で最初となる大きな橋、戸田橋を渡る。

かつて住んでいた戸田市の景色

戸田橋を渡って〈川岸一丁目〉で横断歩道を渡る。旧中山道では橋ではなくて渡しであったので、渡しがあった地点近くまで川岸を進まなければなりません。街道では、渡しのあった地点からちょっとずれた場所に橋が架けられている場合がほとんどで、旧道を見失ってしまうこともある……というか、旧道自体が寸断されてなくなっている場合も多い。護岸整備などで、そもそも地形が変わってしまっている場合もあるので、それは仕方がないことなのです。

戸田橋でもその例にもれていませんでした。川岸2丁目東通りという住宅が密集した細い路地を抜けると、さつき通りという商店の並んだ寂れた通りに出るのですが、中山道旧道はどうやらここで分断されているようで、再び国道17号線へと合流することになる。E30 M3での旅のときは、戸田橋からそのまま国道17号線を突っ走ったので、スルーした区間でした。

そのE30 M3で旅したときには、まだ夜も明けていなかったということもあって、かつて5年間近く住んだマンションを通り過ぎたことも気が付きませんでした。国道17号線に面した白い外壁のマンションに、住んでいたことがあったのです。

住所からすると、そろそろそのマンションがあってもよいはずですが、国道17号線の景色は、まったく見覚えがない景色。ロイヤルホストとか安楽亭とか、記憶にない……。というのも、戸田に住んでいたとき、マンションと戸田公園駅までの道のりしかほぼ歩いたことがなかったので、自分が住んでいた町にも関わらず、まったく地理に詳しくないのでした。

左手にセブンイレブンのある〈本町一丁目〉を右折して国道17号線から離れ、すぐに左折。下前公団通りに入ると、見覚えのあるケヤキ並木の通り。このケヤキ並木のどこかに、30年近く前に住んでいたマンションがあるかと思うと、ちょっとドキドキ。引っ越してから初めて訪れるので、すでにマンションはないかもしれません。隣が消防署だったので、まさか消防署が移転していることはないでしょう。マンションが建て替えられていても、消防署さえあれば場所は確認できるな、などと考えながら進んでいくと、ありました、白いマンション。

マンションの入り口前のケヤキ並木に見覚えが……

記憶の中の景色そのままなのだけれども、マンション入り口のディテールとかは、こんなだったかなぁ、という程度。BD-1を降りてマンションを眺めていたそのとき、自分が旧中山道沿いに5年近くも住んでいたということに初めて気がついたのでした。

東海道旧道の旅をしていたとき、「宿場以外の東海道沿いに住んでいる人って、どんな気分なんだろう? 自宅の前の道が東海道旧道って、知っているんだろうか?」と考えることがあったけれど、そんなこと知らずに生活している人がいる、ということですね。

実際、旧中山道の現在の通り名は「下前公団通り」であって、どうやら通称は「ケヤキ通り」。旧中山道であることは、どこにも匂ってこない。5年近くも住んでいて、知らなかったということも、仕方ないことかもしれません。

中山道が身近に感じるどころか、身近だったんだと思わず苦笑して、先を急ぎます。

こんなに近くに宿場があったなんて

旧中山道は再び国道17号線となり、1kmも走らないうちに、GSが見えてくる。旧中山道はそこで右手の裏の通りへ。ここは、E30 M3ですでに通ったので間違わずに進む。

旧中山道の各宿場の浮世絵が、パネルになって歩道に

この通りがいわゆる蕨宿。沿道の建物は、普通のマンションや一戸建て住宅だったりしますが、車道が砂舗装となり、歩道が石畳風となっています。東海道旧道でも、宿場付近の道路で使われていた手法。ただのアスファルトよりも、旧街道の雰囲気が演出されているのです。

マンションと戸田公園駅の往復以外、ほとんど出歩いたことがなかったとはいえ、自分が住んでいた近くに中山道の宿場があったとは、ちょっと感動。

本陣跡の中が気になるところだが、写真だけ撮って先を急ぐ

E30 M3で通ったときは、暗すぎて気が付かなかった「蕨本陣跡」などで記念撮影しつつ、1kmほどの旧中山道気分に浸ることができる蕨宿を通過したのでした。

◎GoProからの1枚

蕨宿は、道路で旧街道を演出している

▼ひとつ手前の宿場はこちら

▼E30 M3での中山道旧道の旅はこちら

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