BD-1で走破した、中山道六十九次の旅の記録。2019年4月25日〜30日の5泊6日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。

DAY 1 13:01_鴻巣
2019.04.25
まるでモノリスのような本陣跡
旧中山道は圏央道を越えて2km弱進むと、〈本宿〉という交差点が見えてきますが、次なる鴻巣宿までは4km以上あります。どうして宿場でもないのに「本宿」という交差点名なのかと思ったら、横断歩道を渡った先に「中山道 北本宿」と書かれた標柱がありました。

宿場と宿場の距離が離れているところなど、間宿が設けられているところがありますが、どうやら間宿として最初に栄えたわけでははないらしい。殺風景な交差点の一角に、このあたりの歴史を解説する案内板がありました。
どうやら、もともと鴻巣宿はこのあたりにあったらしいのですが、1590年代に現在の鴻巣宿の場所に移されたらしいのです。徳川家康が鷹狩りの際に宿泊する御殿があった場所に宿場を移したとか、桶川宿に近すぎたためとか、理由は諸説あるようです。
そこで、もともと宿場のあった場所を「元の宿」と読んでおり、それが「本宿」となったのでした。
高崎線と平行して走る旧中山道をさらに進むと、歩道の広さやカラー、街路灯の雰囲気から宿場めいてきますが、北本駅が近くなるからでした。まあ、もともとこのあたりが宿場だったわけだし、あながち間違いではないのですが……。
〈北本駅前〉を通り過ぎると、再び単調なまっすぐな道となります。そして沿道の建物がどことなく昭和な雰囲気になり、「人形」の文字を見かけるようになると、鴻巣宿の江戸方です。

鴻巣は、人形の町としても有名でした。商店街に設置される街路灯が一直線に並んでおり、写真館や手芸店、金物店、食器店といった、昭和テイストを所々に残した街道は、目にもちょっと楽しい。本陣跡は、埼玉縣信用金庫のほんの少し先にあります。歩道に突然、モノリスのような黒い御影石の標柱が立っており、「鴻巣本陣跡」と彫ってあるのでが、文字がまったく目立たないので、クルマだと気がつくことはないでしょう(実際にE30M3のときは気がつきませんでした)。
ポタリングでも補給食は大切です
クルマの往来は多いのですが、歩道も広く整備されているので安心。左手にトヨタカローラのディーラーが見えてきたら、そのあたりが鴻巣宿の京方になります。

そして、ここに中山道の道標が歩道に建っているのですが、本陣跡とは違って大きく、白い御影石に文字が彫られ、しかもその文字が赤色にペイントされているので、否が応でも目に付きます。「中山道 こうのす」と書かれており、二股の道を左へ行くように指示されていました。
指示通り左手の道を進むとすぐに高崎線を踏切で横断します。もう宿場は過ぎてしまっているので、完全に住宅街といった景色となり、さきほどまでの昭和な商店街の雰囲気がなくなります。
関東平野はもちろんフラットな平地ですが、河口付近から山のある内陸へと向かっているわけですから、ほんのわずかですが道に傾斜が付いていても当然です。急な登り坂がない代わりに、知らぬ間に緩やかな登り坂をずっと走ってるといった感じでしょうか。数時間前に比べると、まったくスピードが出ていないことに気がつきました。
そこで、気がつきました。そういえば、東京駅の八重洲口にある富士そばで、出立前のそばを食べたきり、食事らしい食事を摂ってませんでした。確かにお腹も空いています。と、ちょうど左手にセブン・イレブンを見つけたので、そのまま駐車場へ。
実は、あわよくばこの中山道旧道旅でダイエットしちゃおうと思っていたのでした。なので、富士そばのあとは、1本満足バーぐらいしか口にしていなかったのです。そのため、エネルギー切れとなって急激にペースが落ちたのでしょう。のんびりしたペースでも、6時間近くペダルを漕いでいると、それなりに補給食は必要のようです。ここにきて、自分の年齢を意識してしまったのでした。
セブンイレブンで、辛子明太子と鮭のおにぎりをそれぞれ1個ずつ購入。いつでも補給できるように、一本満足バーもひとつ購入。
おにぎりだけのランチを店先でむしゃむしゃと急いで済ませ、先を急ぎます。

◎浮世絵ポイント_吹上富士遠望


高崎線の左側を5kmほど並行して進み、吹上駅の手前で再び高崎線とクロス。〈吹上駅前〉を通り過ぎて次の〈吹上本町〉で左折。300m少し進むと、頭上に陸橋が見えてきます。そしてここが鴻巣宿の浮世絵ポイント「吹上富士遠望」です。

面白いのは、ここで再び高崎線をクロスするのですが、踏切ではなく、歩道橋で線路を渡らなければならないのです。東海道にもこうした歩道橋がありましたが、中山道にもありました。
残念ながら富士山を拝むことはできませんでしたが、これはなかなか貴重な体験でした。久々に貨物列車が走る姿を眺めながら、歩道橋でしばし休憩してしまったほどです。

※注:〈 〉内は、交差点名をさします。
◎GoProからの1枚

鴻巣の地には、もともと大木があって、たたりがあるというので、その大木を木の神と崇めていたそうですが、あるときその大木にコウノトリ(鵠)が巣を作を作りました。その巣の卵を食べようとした大蛇をコウノトリが退治してからは、木の神のたたりがなくなったので、村人は鵠の宮という社を建てたそう。それが地名になったのでした。赤ちゃんを運んでくるのは、西洋のコウノトリに対するイメージです。
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