ART of cycling_二輪書

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く──石部宿

投稿日:

DAY 5 14:44_石部宿

2018.3.27

スケジュール通りの進行

5日間でゴールできるという目算がたったからか、水口宿では「飛出しとび太くん」なんかに心を奪われてしまい、やはり旅は心のゆとりが必要なのだなぁ、と思いいったのでした。

石部宿にも「飛出しとび太くん」を多数目撃。

そもそも、旅には日常の資本主義的競争社会から離れて、普段は目にしない景色や様々なものを見て、自分自身のことを見つめ直すという側面があります、あくまでも個人的にですけど。

それなのに、最初は3日間で東海道旧道を制覇する予定で出立し、1日150km以上走ることをノルマとしていました。

もちろん、天候やそもそもBD-1という折りたたみ自転車のスペック、そして自分の体力により、それは無理でした。

最初から無理かもしれないとわかっていて、3日間で走破するという高い目標を掲げていたということも否めません。万が一の+2日間を旅の当初から予定に入れていたわけですから。

うまくいけば3日間で三条大橋まで到着し、そして大阪(守口宿)までの東海道五十七次を走破しようと思っていたのです。残り1日は、万が一のための予備日だったのです(予備日を設けているところは、いかにも編集者的なのですが)。

結局、その予備日もフルに使ってなんとか5日間で三条大橋にたどり着ける目算が立ちました。というか、本来の予定はこれだったと云うべきでしょう。「万が一、うまくいけば、あれもこれもやっちゃおう」という、編集者的希望的観測が含まれていたのです。

しかし、5日間、まさしくペダルを漕ぎ続けてきて、プライベートな時間までそうしたノルマ主義で旅してきたことが、なんだか馬鹿らしく思えてきたと同時に、結局はこうした性格だからこそ、締切りのある雑誌編集を長年務められてきたのかもしれません。

ギリギリの進行しながら、関西取材後に自走で帰京中、この近江富士の看板を何度見たことか。まさか折りたたみ自転車を漕ぎながら、この看板を見る日が来るなんて……。

いつもギリギリの進行。そのギリギリ感を切り抜けてこそ、生きている実感が湧くという……。真の戦場カメラマンが、平和な日常生活には満足できなくなるのと同じく、休日でさえもギリギリのスケジュールでノルマをクリアしていくことで生きている実感を得ていたのかもしれません。

そういえば、東海道旧道のBD−1の旅を実行した2018年3月は、ちょうど月刊誌を離れ、日々締切に追われるという日常から離れてちょうど1年目でした。

そろそろ、自分に切羽詰まった締切りに渇望していた時期かもしれません。

そんな気分でスタートした東海道旧道の旅でしたが、やはり旅には心のゆとりがないと、見えている景色から得るものも少なくなってしまうと思ったのでした。これは仕事においても同じことが言えるでしょう。

ゴールが近くなり、確実に本日中に新幹線で横浜まで帰宅できることが確証できると、人はこのようにちょっと哲学的なことを考えながらペダルを漕ぐようになるのです。

景観って、何?

石部宿は、三条大橋から日本橋に向かう際に、最初に旅人が宿泊した宿場です。なのですが、あまり印象に残っていない宿場でありました。BMW i8で通ったときは夜だったということもあり、細い旧道をひたすら走ったという記憶しかありません。

実際にBD-1で走ると、意外と東海道旧道らしさが点々と残る宿場でした。「京立ち石部泊り」と呼ばれていた石部宿は、本陣2軒と旅籠32軒を含む400軒以上の建物が街道の両脇に建っていたそうです。その距離1.6km。

吉永のマンボはあっという間に通り過ぎます。

この石部宿に入る前に、大沙川隧道(通称吉永のマンボ)を通ります。マンボとは、小さなトンネルのこと。正式名称を読んで字のごとく、川の下を通るトンネルです。

吉永のマンボを通り過ぎてから、東海道旧道は草津線と300m〜400mほど離れてほぼ並行しています。途中に甲西駅、そして宿場の京方の先に石部駅があります。草津線と東海道旧道との間には、2車線の道路が新たに設けられています。主にクルマはそちらを通るようになっています。だからこそ、この区間は宿場町全盛期の頃の面影がないほどに寂れてしまっているわけでもなく、さりとて昔ながらの町並みが時代に取り残されているわけでもなく、人の生活が普通に営まれているという、絶妙なのか微妙なのか、なんともどっちつかずの町並みなのかもしれません。

こちらの無料休憩所でトイレ休憩。

しかしこれは、江戸時代の宿場町・街道にロマンを感じる人にとっての価値基準です。実は、連子格子の建物あり、昭和な雰囲気残る理髪店や自転車屋、ハウスメーカー系の住宅、注文住宅……。いろいろな建物が雑多に並んでいるので、そのコントラストを楽しめる向きには、飽きのこない区間だとも言えるのです。調べてないので勝手な想像ですが、町並み保存という概念は感じられません。人の生活に合わせて変化してきた町並みなのです。

町並みといえば、景観のことですが、実はこの景観というものがなんとも曖昧な基準の上に成り立っているのです。

大学を出たての頃、東京都のお仕事で都の景観啓蒙ビデオを制作したことがあります。そのビデオでは、都の担当者がオススメする景観づくりに力を注いでいる自治体や団体、地域などを紹介したのですが、結論としては「景観づくり」の唯一無二の答えがないのです。

郊外に開発された集合住宅も、都市景観として予め計画されて作られています。しかし、そうした無機質な場所では犯罪が多かったりします。ゴールデン街だって懐かしい町並みに違いありません。これだって景観のひとつ。

石部宿は、鉄道が東海道旧道に並行したこともあって、過疎に見舞われなかったけれども、古い町並みがそのまま残ることもありませんでした。それはそれでいいのです。人が生活しているのですから。

とはいえ、石部宿は東海道の宿場として整備されています。向かって右が「京都」という地図がなんとも新鮮。

坂口安吾の『日本文化私観』ではありませんが、法隆寺や平等院鳳凰堂なんてなくてもいい。もっとも、石部宿は、かつての宿場だったことを後世に伝えるために、町ぐるみで案内板などを設置しています。旅人にとっては、それだけで十分なのです。

たとえば関宿や中山道の奈良井宿、妻籠宿など、古い町並みが残っていることを旅人(というか観光客)は期待するものです。いまでは景観を守っているということにもなります。しかし、守ろうとして残っていたのではなくて、時代に取り残されることで残ってしまったという場所の方が多いのです。

自分もゴール間近まで来て、東海道旧道の古い町並みばかりを探して写真を撮ってきたことに、今更ながら後悔。もっと、2018年の東海道を写真に収めてきたらよかったなと反省。

東海道の旅の大敵は腹痛?

石部宿を過ぎると、東海道旧道は地図から消えてしまいます。そこで、アプリの指示通りに現在ある道を使って、東海道旧道が復活する場所まで。

名神高速をくぐります。

国道1号線と名神高速道路をくぐり抜け、旧和中散本舗で休憩。東海道を旅する人に和中散というお腹の調子を整える薬を売っていたところです。徳川家康がこのあたりを訪れた際、腹痛の際に服用して有名になったとか。そしてこのあたりは草津宿と石部宿の「間の宿」。

旧和中散本舗で小休憩。
「やせうま坂」という文字に、この先に急坂があるのかと身構えましたが、そんな坂はありませんでした。

さらに進むと金勝川の手前でT字路につきあたります。そこから1kmほど進むと、ようやく石部宿の浮世絵ポイント、田楽茶屋古志ま屋跡です。

いまは個人住居らしき浮世絵ポイント古志ま屋跡。自分の家の庭に、こんな看板と石碑が建っていたとしたら、庭掃除のプレッシャーがハンパない……。

目川田楽を売る茶店が3軒あったということですが、いまは案内板と石碑で当時を偲ぶしかありません。ちなみに目川田楽とは、田楽と菜飯のセット料理だったそう。腹を下しそうもない胃に優しい食事のようです。

草津宿はもう目と鼻の先です。

注:〈  〉内は交差点名を表します。


●GoProからの1枚

のろまなローラーくんとご対面。

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