BD-1で走破した、中山道六十九次の旅の記録。2019年4月25日〜30日の5泊6日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。
DAY 1 10:34_大宮
2019.4.25
浮世絵との間違い探し
JR北浦和駅の手前で、JR線の高架をくぐります。このあとしばらく、中山道と並行するJR線は進行方向左手を走ることになります。
JR北浦和駅を過ぎて1kmほど進むと、そこが大宮宿の浮世絵ポイントでした。
◎浮世絵ポイント_富士遠景
浮世絵ポイントは、大原陸橋あたり。浮世絵には、針ヶ谷庚申塔が左手に描かれています。
当然のことながら富士山が遠くに見えることもなく、交通量が多い交差点で浮世ポイントらしきものを探すと、ありました。
浮世絵に描かれている庚申塔とは違い、金剛像が彫られていますが、間違いなく庚申塔と書かれています。
青面金剛像は、1714年に奉納されたもので、金剛像が邪鬼を踏み、その下に三猿の姿があります。浮世絵の渓斎英泉が描いた「富士遠景」は、1835年−1837年あたりに描かれたらしいので、実際の庚申塔なんて見てないんじゃないかと訝しく思ってしまいますが、そんなことより、現在の庚申塔の位置する場所がすごいのです。
2辺をガードレール(つまり道路)に、1辺を建物(と遮音板)に囲まれた三角地帯に建っているのです。きっと陸橋などを作る際に邪魔になった庚申塔が、道路建設で取り残された空隙に移転されたのでしょう。
浮世絵のようにそっけない庚申塔であったら、そのまま打ち捨てられていたかもしれません。少なくとも金剛像であったことが幸いしたものを思われます。通行人の注意を引くことはないかもしれませんが……。
人魂と火の玉は、違うものだった
浮世絵ポイントを過ぎて1.5km程先に、ガイドブックによると「お女郎地蔵」と「火の玉不動尊」というものがあるらしい。
もともとそのあたりは刑場跡地なので、あまり気持ちの良い場所ではない。深夜にひとりで通過するのは遠慮したい場所。
そしてお「お女郎地蔵」とは、宿場町によく残る悲しく死んでいった女郎の魂を鎮めるためのお地蔵さん。今風にアレンジするならば、親の借金がわりに風俗で働いていた女性が、ある中小企業の若社長と恋仲になったのだけれども、ごろつきの輩が横恋慕して先に身請けしてしまい、女性は将来を嘆いてこの近くで投身自殺したというお話。
その女性の人魂が出るので地蔵を建立したのです。女性が文字通り売買されていた悲しい時代のお話です。
そして「火の玉不動尊」は、ちょうどそのころにこの近辺で火の玉がよく出没しており、その正体をつきつめるべくある男が火の玉を刀で斬りつけたら、それが不動明王だったというお話。
どちらにしても、あまり気持ちの良い話ではありません。ガイドによると、進行方向右手にその両方があるようなのですが、すっかりさいたま新都心駅の名前にふさわしく、街が様変わりしていて、地蔵も不動尊もどちらも目にとまることはありませんでした。
ひょっとしたら、庚申塔のようにどこかにひっそりと移されているのかもしれませんが、あえて探してまで見たいものでもなく、大宮宿本陣を目指します。
氷川神社参道のかつての中山道を走ろうかとも思いましたが、遠回りすることになるので、パス。
さて、到着した大宮宿本陣は、見事なまでに現在の街並みに飲み込まれていました。大抵の宿場では、本陣跡があったことを示すなにがしかが残されているものですが、そうしたものは一切見当たりません。
ナビが示す山崎本陣跡あたりで写真を撮って、次の宿場を目指します。往来の多いふつうの道路なので、ポタリングにはちょっと適していない区間です。
※注:〈 〉内は、交差点名をさします。
◎GoProからの1枚
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