タクシー運転手にとっても憩いの場所です
久しぶりに西麻布近辺に所用ができたのでふらふらと歩いていたら、懐かしい小屋が目に入ったので、つい、その扉を開けてしまいました。
大学を出て就職した映像制作会社は六本木にあり、そのあと転職した版元も六本木。「かおたんラーメン」は通いつめたわけではないけれど、懐かしい場所なのです。
頼んだのは塩ラーメン。これは昔からそう。
目の前の女性二人連れは、しょうゆラーメンを食べていましたが、私より後に注文した明らかに常連男性は2人とも塩だったので、しょうゆが主流というわけでもなさそうです。
私の隣には、タクシーの運転手がひとり。
そう、青山公園前の通りは、タクシーの運転手の寛ぎの場所なのです。
六本木にある版元で働いていた20年以上もむかし、〆切前になると横浜の自宅にタクシーで帰宅することがよくありました。
しかし、効率よく客を拾いたいタクシーからは敬遠されていた時代です。一旦後部座席に座って行き先を告げると、「もう上がりの時間だから……」と、乗車拒否され、寒風吹きすさぶ丑三つ時の路上に降ろされたこともしばしば。
その日、外苑東通りの乃木坂近くでまったくタクシーが拾えず、最終手段のスポットである青山公園前でタクシーが来るのを待っていました。
最初に私を拾ってくれたタクシーは、乗車拒否もせず、多摩川を渡ることに嫌な顔をしませんでした。西麻布で右折して246に出ると、運転手が話しかけてきました。
「お客様は神様です、っていうけど、ほんと、おきゃくさんは神様ですよ〜」
ハ? ドウイウコトデスカ?
「今日はもうぜんぜんお客さんを拾えなくて売り上げが足りなくて困ってたんです。以前も同じようなことがあった時に、お客さんを拾ったあたりで乗車した方が横浜方面だったんですよね。それで売り上げをクリアしましてね、横浜方面だと下世話な話で申し訳ないですけど、軽く一万円超えるでしょ。だからそのときのゲンを担いで、今日もひょっとしたらと思って、さっきの通りを流したんですよ。そこでお客さんを拾えなかったら、もう諦めて営業所に戻るつもりだったんです。いやあ、あの場所は私にとってラッキーな場所です。今日はお客さんが最後のお客さんです」
自分もタクシーが掴まらないときよくあの辺りでタクシーを拾うけれど、乗車拒否されることも度々ありますよと、ひとしきり世間話しているうちに池尻を過ぎ、自宅に近い246の交差点を告げて眠ってしまいました。
いまは横浜青葉インターがありますが、当時はまだありませんでした。あざみ野近くの交差点で運転手は私を起こしてくれました。そこからはマンションまでのルートを口頭で伝えながら走ってもらうのがいつもの手順です。
すると、「あれ? お客さん、次は駅前の最初の信号を右?」と、いつも私が帰宅の際にタクシー運転手に告げる道順を言い当てるのです。
そして駅前の道を真っすぐ進んで1階に花屋があるマンションの前に到着すると、「さっき、道順を教えてもらったときにまさかと思ったんですけど、あのときのお客さんって、あなただったんですね! このマンション覚えてますよ」と驚いた様子。
そう、私はどうやらあのときの神様だったのです。
さあ、おふとりさまです
そんな20数年前のことを思い出していたら、塩ラーメンが運ばれてきました。
塩ラーメン 770円
味付け卵 100円
焦がしネギとニンニクチップ、ちょっと塩っぱめのスープ。
そして懐かしいチャーシューの味。
中華料理店ならではの独特の香りのするチャーシュー。
パクチーのせたらもっとおいしかろうに……。
お店の景色といい、味といい、すべてがピタリと20数年前と同じでした。
いまはもう防衛庁も東京大学生産技術研究所もありません。
シャレオツなナンタラタウンと美術館にとってかわってしまいました。
抜け道に使っていた生産技術研究所の敷地にあるベンチは、こっそり仕事をサボって読書する秘密の場所でもありました。それからいまはなき青山ブックセンターで油を売っていたものです。
しかし、風が吹けば倒れてしまいそうなかおたんラーメンはあの日のままでした。
食べ終わる頃に一人で来店してきたご近所の品のよいおばさんが、店員と世間話をするのが聞こえてきました。
「今週末も颱風来るんだってねー」
たぶん、かおたんラーメンは大丈夫。
懐かしい思い出がフラッシュバックしたおふとりさまでした。