ART of cycling_二輪書

旅するBD-1、中山道六十九次を行く◎08_熊谷

更新日:

BD-1で走破した、中山道六十九次の旅の記録。2019年4月25日〜30日の5泊6日をかけたポタリングの様子を宿場ごとにレポートしています。

DAY 1 14:44_熊谷

2019.04.25

荒川土手沿いに気持ちよくポタリング

JR吹上駅近くで高崎線をオーバーパスしたあと、すぐに中山道旧道はこれまでなかった展開になります。荒川に突き当たって右に進路を取ると、荒川の土手沿いの道が旧道となるのです。

E30M3でこの場所を通った時間帯は日の出頃だったので、通勤や配達車のクルマが意外と多かった記憶がありますが、平日の昼下がりと云うことあるのか、この土手沿いを通る際に、1台のクルマにも追い越されることも、すれ違うこともありませんでした。

旧中山道はいったん荒川の土手沿いから離れ、ちょっと懐かしく感じる住宅が並ぶ通りを進むと、県道257号線(冑山熊谷線)のまだ新しい高架をくぐり、再び荒川の土手にのぼります。

ちょうどそのあたりに、かつて「思いやり橋」と呼ばれた久下冠水橋が架けられていました。橋の幅はクルマ一台分。一方通行ではありません。なので、対岸からクルマが来ているかどうかを確認して、280mほどの橋を一気に渡るという、なかなかスリリングな橋だったようです。

昭和30年に架設され、平成15年まで使われていた久下冠水橋の面影はもうどこにもありませんでしたが、44本の橋脚の橋はムカデみたいで風情があって、歩行者専用として残しておくとよかったのにとも思ったのですが、洪水の時など維持費が掛かってしまうのでしょう。いまは、先ほど高架下を走ってきた冑山熊谷線の久下橋を使って、対岸へ渡るようです。

東海道五十三次の時は、河口付近の川を横断するばかりで、川沿いに走った記憶はありません。考えてみたら、戸田あたりで荒川を渡った後、ずっと荒川に沿って北上していたということになります。

◎浮世絵ポイント_八丁堤ノ景

いったん登った荒川の土手ですが、土手沿いの道には4本のポールが立てられており、クルマだと通れないようになっています。その脇の下りの道が旧中山道です。そして下りきったあたりが、熊谷宿の浮世絵ポイント「八丁堤ノ景」です。

浮世絵に描かれている茶店「御狩屋」の跡を示す案内板が、個人住宅の塀の内側に立てられているので。すぐにそれと分かるはずです。

ちなみに忍藩の藩主が鷹狩りに来た際にここで休憩したので、「御狩屋」と名づけられたようです。

中山道は百貨店を貫通する

ここから2km弱ほどなんの変哲もない通りを進むと、秩父鉄道と高崎線の踏切を越えます。〈銀座一丁目〉で左折、国道17号線に入ると、このあたりが熊谷宿の江戸方にあたる場所。

さらに進むと、瓦葺き屋根の熊谷寺前バス停が見えてきます。ちょうどこのあたりに熊谷宿の竹井本陣がありました。バス停のすぐ先には、本陣跡の標柱が建っています。

〈鎌倉町〉で17号線を横断し、八木橋百貨店の前に出ます。旧中山道は、なんとこの百貨店の中を通っていました。正確には、旧中山道の上に百貨店が建ったというべきでしょう。

これも、終戦前夜にB-29による空襲で、熊谷の市街地がほとんど焼失してしまったからかもしれません。古い町並みが残っていたら、ここまで大胆に区画整理することは難しいでしょうから。

さすがに、自転車を押して百貨店内を横切ることは憚られたので、現在の道をたどって百貨店の反対側の出入り口へ。こちらには旧式の旧中山道跡を示す標柱が建っていました。

※注:〈  〉内は、交差点名をさします。

◎GoProからの1枚

自転車も通行可能な歩道は大変広く、本当に走りやすい熊谷宿あたり。いわゆる地方都市によくある景色ですが、こうした昭和バブルを経た景色にノスタルジーを感じてしまうお歳柄のようです。


▼次の宿場はこちら

▼ひとつ手前の宿場はこちら

▼E30 M3での中山道旧道の旅はこちら

-ART of cycling_二輪書
-, , , ,

Copyright© ART LIFE mag. , 2021 All Rights Reserved.